誰かに「美味しい」と言ってもらえたあの日から
私は料理をするのが怖くなくなった。
そして、あの日から避けていた“彼”と再び向き合う日が来た。

「これにサインしたら、全部終わりだよね」
そう思いながら、私は机の上の離婚届を見つめていた。

隣に座る遼は、何も言わずにペンを握っていた。
その姿に、私は小さな声で話しかけた。


遼は少し驚いたように私を見た。
私は目をそらさず、続けた。

「最後に、一度だけ…私の料理を食べてほしい。私のワガママなんだけど」
遼は、しばらく黙ってから、小さくうなずいた。

「……わかった」

それだけで、十分だった。
たったひと言に、どれだけの救いが込められていたか――
私は、そのときの彼の優しさを一生忘れないと思った。