トヨタ自動車博物館は、自動車文化の継承・発展とクルマファンの交流を目的に毎年、東京・明治神宮外苑を会場に世界のクラシックカーの祭典を開催してきた。今年も「2014トヨタ博物館クラシックカー・フェスティバルin神宮外苑」として11月29日(土曜日)に、明治神宮外苑聖徳記念絵画館前をメイン会場とし開催する。


 このイベントは、個人所有の日米欧のクラシックカー約100台による銀座中央通パレード、神宮外苑での展示をはじめ、トヨタ博物館所蔵のクラシックカーの展示・走行披露会などの多彩なプログラムで人気のイベントだ。


 今回は、「1930年代、日本の自動車産業夜明け前」をテーマに、日本に自動車産業が芽生えはじめた当時のクルマ6台の企画展示・走行披露を行なう。また、今年トヨタ博物館開館25周年を迎えたことで、これまで春に開催する愛知展、秋に開催する東京展で異なっていた名称を「クラシックカー・フェスティバル」に統一、ロゴを一新した。さらに、来場者がより楽しめるイベントとするため、Classic Car Circuit(CCC)、Classic Car Studio(CCS)といった新たなプログラムを展開する。


 今回、銀座をパレードするクラシックカーを先導するのは、1960年製のトヨペット・クラウンRS21型で、観音開きのドアが特徴的な初代クラウンの改良モデルだ。トランスミッションは当時としては斬新なOD(オーバードライブ)付き3速オートマティックである。


 企画展示の「1930年代、日本の自動車産業夜明け前」で目玉となるのが、1935年仏製の「イスパノ・スイザK6」で、当時の超高級車だ。このクルマは、旧佐賀藩主・鍋島家の13代当主、鍋島直泰・公爵(なべしま・なおやす、1907年10月3日生、1981年5月1日没)が、1935年にベアシャシー(ボディがない状態)でフランスから輸入。自邸敷地内の小屋で自らデザインした2ドアクーペボディを約半年かけて日本人職人に製作・架装させたクルマだ。まるで英国のバックヤードビルダーのような仕事で完成したクルマだ。


 当初のボディカラーはナス紺と溜色(小豆色)のコンビネーションだったと言われるが、その後も昭和40年頃まで、塗色の変更やバンパーを二分割にするなどの改良を重ね、死去するまでナンバーを付けて実用に供したという。


 この「イスパノ・スイザK6」はオーナーの死後、1983年に佐賀県立博物館に管理を委託、約25年間にわたり同博物館1階ホールで展示されていたが、2008年にトヨタ博物館に寄託された。


 鍋島直泰・公爵は佐賀藩主12代・鍋島直映の嫡男。学習院・東京帝国大学を卒業し宮内省式部官を務め、1943年に家督を相続・侯爵を襲爵し貴族院議員となり、戦後の貴族院の廃止までその任に就いていた。直泰は当時から自動車エンスージアストとしても知られていた人物だ。


 イスパノ・スイサ(Hispano-Suiza/スペインとスイスの意)はスペインで創業した企業で、自動車や航空機エンジンの設計、第二次大戦前後には兵器も開発したメーカーだ。現在はフランスのグループ企業であるサフラングループの傘下にある。


 その来歴は、1898年にスペイン軍の砲兵指揮官であったエミリオ・デ・ラ・クアドラが、バルセロナで電気自動車会社「ラ・クアドラ」を設立し、スイスの技術者マルク・ビルキヒトの才能を発掘・雇用したことに始まる(社名の由来はここにある)。

その後、いくつかの倒産・再建などの変遷を経て、会社は乗用車やトラックを大量生産、手作業でレーシングや高級車を少数製造した。


 しかし、高級車マーケットはスペインよりもフランスの方がはるかに大きいと判断、第一次世界大戦前の1911年に仏パリ郊外に本拠を移す。1914年にボワ・コロンベに工場を竣工し「イスパノ・スイザ」の名で販売した。結果、高級車ブランドとして大きな成功を収め、航空エンジンの製造会社として大成。現在に至るというわけだ。


 今回、展示される「イスパノ・スイザK6」は、同ブランドの最終モデルといわれる6気筒エンジン搭載車。

ラジエター上部にはイスパノ・スイザのマスコット「飛翔するコウノトリ」が輝いている。このマスコットは第一次大戦でイスパノ・スイザ製航空機エンジンを搭載した飛行隊のエンブレムをモチーフにしたと伝えられる。鍋島直泰・公爵がつくった唯一無二のジャパンメイド「イスパノ・スイザK6」を東京の空の元で眺められるのは今回だけかもしれない。(編集担当:吉田恒)