2015年までPASSPO☆として活動、卒業後は『すきっ!』(超ときめき▽宣伝部)など数々の楽曲の振り付けを担当している槙田紗子。近年ではアイドル・フェス「サコフェス」や朗読劇をプロデュースするほか、2021年からはアイドルグループのプロデューサーも務めている。
そんな彼女の軌跡をあらためて振り返るとともに、プロデューサーとしての信念を聞いた。(前中後編の後編)※▽はハートが正式表記

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【写真】振付師として活躍・槙田紗子の撮りおろしカット【10点】

──振付師として初期に関わっていたのはどんなグループだったんですか?

槙田 最初は桃レボ(桃色革命/現・momograci)とかアイカレ(アイドルカレッジ)とかでしたね。あとは今でも担当させていただいている超ときめき▽宣伝部とか……。

──とき宣? まさか2021年にTikTokで一番バズったアイドル曲と言われる『すきっ!』を振り付けしたのは……。

槙田 それが聞いてください! 私が事務所を辞めたのが2017年の10月なんですよ。その同じ年に担当したのが例の『すきっ!』で。だから4年越しの大ブレイクということになるんです。「そんなことあるの!?」って、もう本当にビックリしましたよ。メンバーからも去年のはじめくらいに「先生、知ってます? 『すきっ!』がTikToKでバズってます!」って興奮した状態で言われましたから。

──やっと時代が槙田さんの振り付けに追いつきましたか!

槙田 あの曲は私にとっても忘れられない思い出があるんです。当時、振付師として駆け出しだった私にとって大手事務所さんのグループの振り付けを手掛けるというのは、絶対に失敗できない超巨大案件だったんですね。とにかく気合が入りまくっていました。
ところが私が提案した振り付けに対して「なんかちょっと違うんですよね」って修正依頼が来てしまって。具体的に言うと、最初は今のキャッチーなものじゃなくて、もっと難しく踊る感じだったんです。事務所側のスタッフさんから言われたのは、「男の人でも可愛く踊れる感じがいいです」ってことで。

──それ『LOVEマシーン』のときに夏まゆみ先生がつんく♂さんから喰らったダメ出しと同じですよ。「アホの坂田みたいにしてほしい」と言われ、国民的大ヒットに繋がったわけですから。

槙田 あぁ、確かに似ているかもしれないな。とにかくキャッチーにしたほうがいいと『すきっ!』で学べましたし。でも当時の私は振り付けに対して修正希望をいただいた経験もなかったし、すごいドキドキでした。「巨大案件が途絶えてしまうかもしれない……」って悲痛な表情になりましたし(笑)。

──いや~、ドラマチックな話ですね。槙田さんの振り付け効果によって、とき宣の名前は今や世界に響き渡っているわけですし。

槙田 大きかったのは韓国のTikTokチャートで1位になったことなんです。
韓国で1位になると世界に広がっていくらしいです。今はメンバーへの書き込みもインドネシアの人たちからがすごく多いし、コメント欄にはハングルも飛び交っているし、本当にとんでもないことになっていますよ。こうなったから言うわけじゃないけど、やっぱりとき宣のお仕事は自分にとってターニングポイントでしたね。PASSPO☆や事務所を辞めたときと同じくらいの転機だったかもしれない。

──振付師として八面六臂の活躍を続ける一方で、アイドルイベント「サコフェス」主催やアイドルオーディション「SACO PROJECT!」を手掛けましたよね。

槙田 アイドルのプロデュースというのは、自分がアイドルだった頃からずっとやりたかったことではあるんですよ。アイドルが大好きということはもちろんですけど、もともと客観的に物事を見る傾向があったので「この曲はもっとこういうデザインの衣装がいいんじゃないか」とかすぐ考えちゃって。でもプロデュースするとなるとメンバーの人生や将来を抱え込むわけだし、軽はずみな気持ちではできないですよね。30歳くらいになるまで我慢しようかなとも思ったんですが、「やってみたら?」と後押ししていただく声もあったので覚悟を決めて始めることにしました。

──「私が秋元康やつんく♂になる!」という覚悟ですね。

槙田 いやいや、それは恐れ多すぎます。「SACO PROJECT!」オーディションの開催を発表したのが2020年11月。
そこから生まれたグループ・Hey!Mommy!が去年の11月28日にデビューしました。メンバーとは結構いろんなことをじっくり話しますね。やっぱり今はまだ素人感覚というか芸能界のことが何もわかっていない状態なんです。でも、私としてはメンバーに「自分はこうしていきたい!」という意思を持ってほしいんですよね。将来なりたいことなんて変わってもいいから、とにかく自分で考える習慣をつけてほしい。そういう中で私としては考えるヒントを与えていくように気をつけています。

──Hey!Mommy!の展望も含めてですが、今後、槙田さんはどこを目指していきたい?

槙田 まずはなんと言ってもHey!Mommy!を売れさせなくてはいけない。「2025年に武道館」というはっきりした目標を立てているので、3年後までにそこへ到達させないと。私、プロデュースを始めてからすごく感じることがあって、結局、私自身が成長しないとメンバーたちも成長しないんですよ。あの子たちは私からいろんなことを教わるわけだし、私がすべてとは言わないまでも、ものすごく大きい存在であることは間違いなくて。逆に言うと私が腐ってしまったら、あの子たちも間違いなく腐る。あの子たちが大きくなるためには、槙田紗子が大きくなるしかないんです。
それは知名度の問題とかではなく、視野の広さとかそういう面も含めての話ですが。

──なるほど。ある意味、人間力も問われるのかもしれません。

槙田 アイドルのプロデュースをしているからって、プロデュースのことばかりに没頭するのは逆によくないのかなと今は思っています。だから私個人としてもどんどんいろんなことに挑戦したいし、可能性をこれからも広げていきたいですね。ここからが勝負所だと考えていますので。これからもHey!Mommy!ともども応援のほど、よろしくお願いします。

(取材・文/小野田衛)
▽槙田紗子(まきた・さこ)
1993年11月10日生まれ、神奈川県出身。元PASSPO☆であり、現在は振付師や、アイドルプロデュースプロジェクト「SACO PROJECT!」にて、約1,000名の応募者から選ばれた7名で結成したHey!Mommy!のプロデューサーとしても活躍している。
Twitter:@sacomakita
Instagram:saco_makita
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