今や、テレビや雑誌などのメディアでも取り上げられることが多くなったコスプレ文化。とは言っても、日本でのコスプレの始まりは70年代初頭と言われるほど歴史の長いカルチャーである。
クオリティの高いコスプレや、まるでCGのようなレタッチ技術が普及しているが、コスプレ黎明期はどんな時代だったのか。90年代から福岡でコスプレイヤーとして活動している、はるさんの話から紐解いていきたい。

【写真】クオリティも桁違いに進化…95年のはるさん、ほか写真で見るコスプレ変遷史【21点】

今から25年前。『ファイナルファンタジーVI』が発売された1994年頃にコスプレを始めたはるさん。現在は市販のウィッグを購入し、手直ししてから使用するのが一般的だが、当時はそうではなかったと言う。

「当時はウィッグが無いので地毛でキャラクターの髪の毛を再現していました。もちろん衣装も全て手作り。私の初めてのコスプレは、天野喜孝さんがデザインを担当していた『ファイナルファンタジーVI』のティナ・ブランフォードだったんですけど、衣装の模様が凄いので、このデザインをどうやって再現しようか当時は試行錯誤しました」

つけまつ毛や、カラーコンタクトといった2次元を再現する上で欠かせないコスメ類もまだ普及していなかった時代。はるさんはイベントにすっぴんで参加していたそう。

「高校生の頃はメイクの仕方も知らなかったので、ほぼすっぴんでイベントに参加していました。私は1度コスプレを辞めて30歳手前でまた復帰したんですが、その頃には、つけまつ毛を付けている人が増えていてビックリしました。私が住んでいる福岡でウィッグが買えるようになったのもそのぐらいだったと思います」

さらに、コスプレ撮影といえばスタジオを借りるのが主流。
しかし90年代では、そもそもスタジオ自体が無かったという。

「15年前の福岡ではウィッグショップの横に併設しているスタジオはあったんですけど、今みたいにすごく作りこまれたスタジオは無かったですね。そもそも、作品の世界を再現して写真を撮ろうという風潮は、ここ10年弱くらいのモノなのかなと」

時代とともにアニメやマンガキャラクターの演出や装備が華美に。すると写真に求められるクオリティも上がり、当然カメラマンたちの存在が必要になる。

「昔はコスプレイヤー同士で撮り合うのが当たり前で、専属でカメラマンさんにお願いすることはほぼ無かったですね。だから私も一眼を持っています。『艦これ』を中心にコスプレしていた時期があるんですけど、艤装(船体パーツのこと)がすごいじゃないですか。流石にそのぐらい装飾が大きくなると自分では撮影できなくて、自然と仲の良いカメラマンさんにお願いするようになりました」

インターネットの登場で同じ趣味を持つ人やファンとの交流の仕方や写真の露出先も変わったという。今ではTwitterに写真をアップして交流する人が大多数を占めるが、以前は『ファンロード』(1980年創刊のアニメ雑誌。誌面のおよそ9割を読者投稿が占める)という雑誌内での交流や、コスプレ会場で出会った人に住所を教えるのも普通だった。

「カメラも写ルンですとかの使い捨てカメラが主流の時代でしたよね。普通にイベントに参加している方が撮ってくださることがあって、家に送ってくれる方もいましたよ。
当時は自分が作った同人誌の奥付に住所を書いていたので、そこに手紙と一緒に写真を送ってくださる方がいて。今思えば怖いですね(笑)。でも当時はそれが普通でした」

現在では、コスプレするのを目的にイベントに参加する人も多いが、当時は同人即売会に参加するついでにコスプレをするのが一般的。

「福岡ではコスプレオンリーのイベントなんて昔はほとんど無かったし、都心部で開催されていたコミケは遠い存在でしたね。今みたいにコミケの様子がネットで見られる時代ではなかったですし」

たった1日のイベントの為だけに、スプレーで地毛を染める人もいたのだそう。

「『THE KING OF FIGHTERS』とか『ヴァンパイア』とか『サムライスピリッツ』とか、格闘ゲーム全盛の時代が来たんですけど、それでまた髪色を変えるコスプレイヤーさんが増えたこともありました」

昔と今でイベントの違いを伺ってみると、はるさんは「同人誌即売会自体はそこまで変わってはいない気がします」と教えてくれた。一方で、頒布する同人グッズやその作り方は今とは大きく違うのだとか。今だとオフセット(※印刷会社に発注した本)で1000円、2000円するのが当たり前。しかし当時は、100円や200円で買える自作のコピー本(※印刷所に発注せず、コンビニのコピー機などでコピーした本)がブースに並んでいたという。

「コピー本はいいぞー! というのが普通でした(笑)。他にもメールなんて無かったのでお手紙交換の為に便箋を作ったり、販売用の封筒も自分でプリントゴッコで作っていましたね」

今よりもアナログな作業が多い分、大変だったんじゃないかと質問してみると、意外な答えが返ってきた。

「でも楽しかった! それに今の方が市場が大きいから大変な気がします。
当時はとても参入しやすかったんですよ。コピー本も多かったし、中学生でも気軽に買える100円の本もたくさんあったし、誰でも出展側になれたと思うんです。今は絵が上手い方とか、クオリティの高いコスプレをする方が目に入ってきてしまうので、敷居がめちゃくちゃ上がっているように思います」

「それに、嫌な言葉も入ってきやすいと思うんですよね。前はよっぽど好きな方が手紙をくださるくらいで、嫌なことをわざわざ手紙で送ってくるような方はあまりいなかったと思うので。もう私は大人だし、いろんな経験をしてきているので耐えられますけど。これが10代の頃だったら辛かっただろうと思います。少し間違えると炎上する可能性もありますし」

目に見えるもの以外にも、変わってきている部分があるとはるさんは推測する。

「私の主観だと『この衣装がかわいいからコスプレしてみたい』って方も増えた気がします。コスプレは自由なので各々の思いがあっていいと思うんですが、一緒に撮影するとなると自分と同じ感覚の方との方が楽しめるかなと思います。昔は、『このキャラが好きでこの作品を語りたいから」という、みんな近い思いだったので」

だが、色んな感性が増えたということは、コスプレに興味を持つ人が増えたということ。実際にコスプレが受け入れられる趣味になりつつあると実感しているという。

「コスプレに寛容な方も増えたので、いろんな場所で撮影許可をいただけてありがたいです。
コスプレしているとご年配の方やちっちゃい子が話しかけてくれるんですけど、みんな優しくて。受け入れられる趣味になったんだなって感慨深いです。前は白い目で見られていたと思うんですよ。『なんか奇抜な格好の人がいる!?』みたいな」

「福岡の『かしいかえん シルバニアガーデン』という遊園地のイベントで『呪術廻戦』のコスプレをやった時には、小さい子たちが『呪術廻戦だ! 呪術廻戦だー!』って寄ってきてくれたんです。それを見ていたお母さんから『写真いいですか?』って聞かれたので、私が『お好きなんですか?』って質問したら、『実は私が好きなんです』ってお母さんと一緒に撮ったりとか(笑)」

受け入れられるようになってきた理由の一つとして、アニメやマンガを好意的に取り上げてくれるタレントの存在も大きい。

「ここ3、4年ぐらいですかね。叶姉妹さんだったり、アイドルの子だったり芸能人の方がコスプレするようになりましたよね。あとは、キスマイ(Kis-My-Ft2)の宮田(俊哉)君とかオタクな一面をメディアに出す方が増えたおかげで、オタクに対する印象自体も変わってきた感じがします。優しい世界になったなあって思っています」

コスプレが受け入れられる土壌が出来上がっている一方で、コスプレをする際にはマナーに気を配る必要もある。近年多いのは撮影場所に関するトラブルなんだとか。

『よく撮影場所に許可を取ったのかとツッコミをいただくことがあるんです。。
だからSNSにアップする時には、念のために『撮影許可済み』って入れるようにしています(笑)。やっぱり注目される趣味になったので、気を付けることも増えたと思います。その作品に対するイメージも悪くなることもあると思うので細かいことにも気を配っていますね。マナーを守って楽しく誠実にコスプレしていけたらいいなと思います』

20年ほどでメイクや撮影、同人作品やイベント、偏見やマナーに至るまでさまざまな部分で変化してきたコスプレ文化。しかし、はるさん曰く「好きなキャラクターをコスプレする気持ちは今も昔も変わらない」という。

いろいろなことが変わっても、作品を敬愛する気持ちは大切に。コスプレをより楽しむためにルールは守る。これからもコスプレ文化が末永く続いていくことを願いたい。

【あわせて読む】コミケで見つけた美少女レイヤー・mayucoさん「普段はプロのマジシャン、万引Gメンと対決も」
編集部おすすめ