【写真】フォームが変わった? アスリートも驚きのジャンプを見せるジョイマン高木
──高木さんが書いてきた約10年分のツイートをまとめた『ここにいるよ ジョイマン・高木のツイート日記』が発売されます。高木さんのツイートといえば、営業で上手くいかなかった時などのポエティックな文章が話題になることが多いです。
高木 ブログを始めた頃は仕事の告知や感想を書いていたんですけど、仕事がなくなると書くこともなくなって。じゃあ、嘘でもいいから頭の中にあることを書けば続くかなと思って、ポエムのようなものを書くようになったんです。その後、ツイッターを始めたんですけど、身近にあったことを書こうと思っても「サイン会にお客さんが0人」を剝き出しでツイートしても悲しすぎるじゃないですか。だから、キラキラしたオブラートで包むようになったんです。
──高木さんのツイートは、視点を変えて世界を肯定してくれるように感じます。
高木 オブラートというよりパイ生地で包んで美味しそうにしているのかもしれません。
──高木さんの文章が研ぎ澄まされているように感じます。
高木 その感覚はあって。ひとつのツイートに2時間くらいかけることもあるんですよ。書いていくなかでパターンも生まれて、「僕の身体は幾千の光の粒となり太陽へと吸い込まれていった」は何回か書いてるはずです。
──自分自身を励ますような自己洗脳的な部分もありますか?
高木 あると思います。営業で大スベリして、帰りの新幹線で車窓を眺めながら書いていると心が浄化されて、なんとか明日を迎えることができるんです。
──ひとくちに営業と言ってもお客さんは違うし、一緒に出る芸人も違うから、ツイートの詩的表現も変わっていくんでしょうね。
高木 「サイン会0人」のツイートに反響があったおかげで、お客さんがいたら「今日はいるんかい!」と思うようになってしまいました。「じゃあ、別の悲しいことを探そう」と謎の思考になって。「こんなところで⁉」というステージだったり、司会の方に雑にイジられたり、過酷なシチュエーションだとワクワクするようになったんです。
──高木さんは一般の方の「ジョイマン 消えた」といったツイートに、引用リツイートして「ここにいるよ」と教えてあげる活動もしているんですよね。
高木 試しにエゴサーチしたら、すごい数の「ジョイマン 消えた」があったんです。当時はツイッター黎明期で、芸能人と一般人がケンカになることもあったけど、僕はそれを見て悲しいなと感じてました。もっと平和的な使い方があるんじゃないか。じゃあ、「ジョイマン 消えた」をツイートしている人に、「ここにいるよ」と教えてあげようと考えたんです。続けて、「生きているよ」「そして、生きていくよ」と書くこともあります。
最初は怖がられました。本人が出てくるわけですから。僕は怒っているわけじゃないんですけど、「文句を言われた」と受け止める人もいて。「ここってどこだよ!」と怒る人もいました。「ジョイマン 消えた」のツイートは尽きることがないので、ほぼライフワークのようになっています。
──喜んでいる人もいたんですよね。
高木 「ここにいるよ」待ちで「ジョイマン 消えた」とツイートする人が増えたんです。ゴールデン帯のテレビ番組で「ここにいるよ」の話をすると、「ジョイマン 消えた」が1万件くらい出てきて。そうなると返信するのは3、4年後になるんです。
──予約待ち状態(笑)。
高木 「ここにいるよ」とツイートすると「おせーよ!」って書かれますから。いやいや、「おせーよ!」はおかしいだろうと(笑)。その人のアカウントがすでになくなっていることも多いんです。
──「ジョイマン 消えた」とツイートしている人も「いつか消える」不安を抱えているのかもしれません。
高木 いつ消えるかわからない、もう消えてしまっている、そんな自分と重ね合わせて、僕のツイートを読んでくれている可能性だってありますよね。誰の心の中にもジョイマンがいるとしたらうれしいです。
──高木さんは「ジョイマンとはjoint manpowerの略で“繋げよう人の力”という意味なんです」とツイートしています。
高木 上手くいかなくて落ち込んだ時、みんなにジョイマンを思い出してほしいんです。
──人間・高木晋哉さんにとって「ジョイマン高木」はどんな存在ですか?
高木 もう一体化しているんです。どっちが本当の自分なのかわからなくなってきました。もともと「ヒウィゴー」なんて言うような人間じゃなくて、内気で人見知りなんです。ただ、ジョイマンとして初めて舞台で「ヒウィゴー」と叫んだ時にしっくりきて、「これが理想の自分なのかもしれない」「これがやりたくて芸人になったんだ」と思えたんです。理想の自分に段々と近づいている感覚があります。
──まだ完成形ではないんですね。
高木 ですよ。さんも「『あ~いとぅいまて~ん』の100点はまだ出ていない」と言ってます。100点が出たらゴールなのかもしれません。
──「ななななー」のネタを最初にやった時のお客さんの反応は覚えてますか?
高木 すごかったですよ。以前は普通の漫才をやっていたんですけど、あまり反応がよくなくて。それが、あのネタをやった時に客席の後ろのほうから押し寄せてくるような笑いが起きたんです。
──それからは、あのネタやれば必ずウケる状態になって。
高木 ただ、テレビ番組のオーディションにはなかなか引っかからなかったんです。ネタ見せで作家さんに「そのスタイルはやめたほうがいい。ちゃんと漫才をやりなさい」と言われたこともありました。でも、相方と「絶対にウケるネタだから」と信じて、1年後くらいにテレビに出られるようになったんです。(後編につづく)
【後編はこちら】ジョイマン高木が語る“一発屋芸人”時代「受け入れることができなくて、外を歩くのも嫌でした」