【写真】見ているだけでお腹いっぱい? 三宅智子のデカ盛りチャレンジショット【9点】
【前編はこちら】大食いタレント三宅智子が語るフードファイター前夜「中学生で食欲に歯止めが効かなくなった」
──『元祖!大食い王決定』(テレビ東京編)の出演は、どのような経緯で決まったんですか?
三宅 私は子供の頃から大食い番組が好きだったんですけど、一時期、あの手の番組って放送されなくなったんですよ。
──たしかに大食い冬の時代がありました。
三宅 その時期、食べ放題の店に行くと「あ~あ、今も大食い番組があればな……」って周りの友達はガッカリしていたんです。私の食べっぷりがあまりにもすごいって話で盛り上がって。それで2005年に入ると、とうとう大食い番組が復活することになりまして。私はそのときは出なかったんですけど、半年後の「信州・上越編」に出演しました。残念ながら予選敗退でしたが。
──華々しいデビュー戦とはならなかったわけですか。
三宅 予選では、私の隣にジャイアント白田さんがいたんです。白田さんの食べるスピードに圧倒されちゃったんですよね。私もかなり速いほうだけど、その2倍くらいのスピードでしたから。
──何があったんですか?
三宅 翌年の春、番組スタッフの方から「また出てくれませんか?」って連絡があったんです。話を聞くと、今度は女王戦ということで男性は出場しないと。ただ、私はエステの仕事も土日に入っていたから「スケジュール的に難しいです」ってお断りしたんですよね。それでも「そこをなんとか!」って粘り強くオファーされまして、最後は根負けするような感じで出場することにしたんです。
──結果は?
三宅 予選の1位は岩田ミユキさんという赤坂さんと同じ時代から活躍されていたレジェンドの方。私は2位でした。それで2位に入ると、本選にも出なくちゃいけなかったんですよ。「出なくちゃいけない」という表現は失礼か(苦笑)。でも真面目な話、本選は1週間くらい沖縄で収録するということだったので、そうすると本業のお仕事に支障が出ちゃいますからね。
──そこまでして行くからには、当然、優勝を狙いますよね。
三宅 いや、そんな感じでもなかったです。「せっかくだから美味しいものがいっぱい食べられたらいいな~」くらいの遊び感覚。モチベーションとかも特になかったですし。たとえばギャル曽根ちゃんなんかは勝負に懸ける意気込みがすごいんですよ。岩田さんとかベテラン陣も「若いギャル曽根に負けるわけにはいかない!」とか燃えているし、私だけ蚊帳の外でした。
──テレビに登場した三宅さんは「こんなに可愛い子が、ここまでバカ食いするなんて!」とお茶の間に衝撃を与えました。アイドル視するファンも多かったと思いますが、当時はどのように受け止めていたんですか?
三宅 どうだろう……。今みたいにSNSもなかったし、少なくても勘違いするようなことは一切なかったですね。街で声をかけられることもなかったです。そもそも大食い女子って日常ではモテと無縁なんですよ。
──なんですか、その悲恋は!
三宅 付き合い始めの頃は会えるだけで胸がいっぱいで、お腹とか空かなかったんですけど、だんだん慣れてくると、「早くバイバイして、お腹いっぱい食べたいな」とか考えるようになるんです。一応、相手の前ではカッコつけて少食ぶるものですから(笑)。だからデートが終わった瞬間に牛丼屋に駆け込んだり、そのままラーメン屋にハシゴしたりしていました。たしかに苦しい恋でしたね。ストレスが溜まる一方でした。
──彼氏の前で大食いをカミングアウトすればよかったじゃないですか。
三宅 いや、それはできなかった! それまで頑張って我慢していたのに、今さらキャラ変するのは恥ずかしすぎたんです。テレビに出るようになってチヤホヤされることは特になかったけど、逆に「食べ方が汚い」とバッシングは浴びましたね(笑)。それで食事マナーは気をつけるようになったかな。
──そこからは大食いファイターとして華々しい活躍をされましたよね。
三宅 いや~、そんなことはないですよ。
──共演して、すごいと感じたフードファイターは?
三宅 やっぱりギャル曽根ちゃんかな。胃袋の大きさもさることながら、あの剥き出しの闘志を目の当たりにしたら「この子には勝てない」って諦めざるをえなかったですね。最後は精神力の勝負になるから、そこで絶対に追いつけないんです。(後編へつづく)
【後編はこちら】大食いタレント・三宅智子が語るフードファイター卒業後の流浪の人生「写真集を出したことも」