42歳でグラビアデビューを果たし、年齢を全く感じさせない美貌で話題となったフリーアナウンサーの中川祐子。今年5月には、5枚目となるイメージDVD『Bright Tears ~夢であなたと~』をリリースした“奇跡の50歳”に、いかにしてグラビアに挑戦することになったのか、その軌跡を聞いた。
(前後編の前編)

【写真】“奇跡の50歳”中川祐子の撮りおろしカット【10点】

──中川さんはそもそも、どんな経緯で芸能活動を始めたんですか?

中川 大学卒業後は総合商社に一般職で入ったんですけど、単純作業が苦手なのでコピーを取るとかお茶くみとかの仕事が向いていなくて(笑)。それで私の仕事ぶりを見かねた上司が「英語がしゃべれるなら、社内の外国人に日本語を教えてみないか?」と新しい仕事を任せてくれたんです。それで教壇に立ってみたら、人前でしゃべるのが楽しいと気が付いて。だからそういう仕事が自分には向いているのかも、と思ってアナウンサースクールに入りました。

──社会人になってからアナウンサーを目指したんですね。

中川 それで25歳の頃かな、アナウンサースクールで勉強していたときにアナウンサー事務所にスカウトされて。事務所に入ってすぐ、NHK教育の番組『3か月英会話』のオーディションに受かって、アナウンサーデビューを果たしました。とんとん拍子ですごくラッキーだったと思いますね。

──その後はどんな活動をされたんですか?

中川 いろいろやったんですけれど、大きいのは『モーニング天気』(TBS)という朝の情報番組です。その番組で天気予報に興味を持ち、気象予報士さんに「天気を勉強してみたい」と話をしたら、「気象予報士の資格取っちゃえば?」と言われたので、すごく軽い気持ちで勉強を始めたのですが……これが大変で(笑)。当時はそんなに難しい資格だと知らなかったんですよ。

──気象予報士は合格率5%前後という難関ですからね(笑)。


中川 当時も合格率4%くらいで、3年かかってようやく受かりました。せっかく資格を取ったんだし活かした仕事がしたいとは思いつつ、年齢はすでに35歳。気象キャスターとしてやるのは年齢的に難しかったんです。そんなときに、「NHKの国際放送局で英語の天気予報の原稿を書く仕事をやってみないか」と誘いがあって、出るのではなく裏で原稿を書く仕事を始めました。

──そこで一旦裏方に回るんですね。それはどのくらいの期間やられていたんですか?

中川 2~3年ですね。でも貴重な仕事ですごく楽しかったです。結婚したのもちょうどその頃。お仕事を通じて出会った方なんですけど、出会ってから3カ月でプロポーズされました(笑)。私は仕事が好きなので、「仕事のことを何でも許してくれるなら」と条件をつけたんですけど、すんなり受けてくれたので、結婚に至りました。

──まさに仕事もプライベートも充実の日々ですね。

中川 でも私は少し飽きっぽいところがあって。
裏方の仕事を続けるうちに、また表に出る仕事がしたいなと思うようになったんです。そんなとき、たまたまウェザーニュースで気象キャスターの募集があって、これが珍しく年齢制限がなかったんです! だから「もしかしたらチャンスかも!」と思って応募して合格しました。これが39歳のときです。

──アナウンサーになるのもですが、気象キャスターになるのも遅咲きだったんですね。年齢関係なくやりたいと思って行動して、合格という結果を残すのもまたすごい。

中川 ありがとうございます(笑)。ただ、ウェザーニュースでは『ドライビングウェザー』という番組を担当させてもらったものの、毎日やることが一緒なので、やっぱり自分の中でだんだんとマンネリ化してきちゃって……。もう少しレベルアップしたいなと考え始めた頃に、友人に誘われて今の芸能事務所に入ることになりました。

──そこで、グラビアに繋がってくるわけですね。

中川 そう。急に事務所の方に「『FRIDAY』さんに挨拶に行くよ」と言われ、ついて行くと編集者の方に「アラフォーに見えない」と驚かれて。それで「グラビアやったらいいんじゃない?」と提案してくださったんですけど、当時もう42歳でしたし、それまで真面目一筋でやってきたので、本当に青天の霹靂でしたね。
お断りしたんですけど、光栄なことに何度もオファーをくださったので、そこまで言ってくださるなら……と。グラビアはさすがにダメかなと思って主人にも相談したらOKだったので、挑戦しました。

──そして2014年、『FRIDAY』で「美魔女お天気お姉さん」としてグラビアが掲載されました。初撮影を振り返ってみていかがですか?

中川 すごく緊張しましたね。あとは見せたくないところがいっぱいあったし、自分の体に自信があるわけじゃなかったので、水着を太めのものにしてもらったり、胸も小さいので寄せてもらったり。いろいろな制限もさせていただいたんですけど、スタッフのみなさんがとても優しくて助かりました。すごく可愛く撮っていただけてありがたいなと思いましたし、周囲にもすごく綺麗と言ってもらえました。

──その後、2015年1月には1stDVD『あした天気になあれ』をリリースします。DVDの撮影はスチールとは違いますし、カメラに向かって演技をする場面も入ってきますが、いかがでしたか?

中川 ものすごく恥ずかしかったです。でも初DVDだったのもあって監督さんも優しかったので、無我夢中でやっていましたね。ただ、それまでアナウンサーとしてずっと動画の仕事をしてきたので、正直スチールよりもDVDの方が楽でした。スチールはポーズをずっと固定しなきゃいけなかったりとかがきつくて(笑)。


──グラビアを始めたことで、周囲からの反響はありましたか?

中川 キャスター時代からのファンの方はみんな驚いていましたし、グラビアに挑戦したことで新しいファンもできました。ただ、両親はすごく堅い人なので、グラビアをしていることは言っていないんです(笑)。

──えっ!? さすがにバレそうですけど……。

中川 基本的に芸能に興味がない人たちなので、今も全然バレてないです。ただ1回だけ、両親が読む新聞に、私のグラビアが掲載された雑誌の広告が載ったことがあって。実際はヌードになっていないのに、広告にはヌードと謳われていたので、すごく怒っていました。だから「ヌードじゃない。このくらいの露出は、神田うのさんだってやっているから」と言ってごまかしました(笑)。

──ごまかせたんですね(笑)。ほかに、グラビアをやったことで仕事への影響はありましたか?

中川 キャスターの仕事に影響はなかったですけど、実年齢に見えなかったからか、美容関係のお仕事が増えたりとお仕事の幅は広がったと思います。

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(取材・文/徳重龍徳)
▽中川祐子(なかがわ・ゆうこ)
1972年1月9日生まれ、東京都出身。津田塾大学卒業後、商社を経てアナウンサー、気象予報士となる。
一方でグラビアでも活躍し、その美貌から“奇跡のアラフィフ”として注目されている。
Twitter:@yuko_nakagawa19
Instagram: nakagawa.yuko
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