アイドルは時代の鏡、その時代にもっとも愛されたものが頂点に立ち、頂点に立った者もまた、時代の大きなうねりに翻弄されながら物語を紡いでいく。結成から20年を超えた
に関するニュース">モーニング娘。の歴史を日本の歴史と重ね合わせながら振り返る。『月刊エンタメ』の人気連載を出張公開。13回目は2009年のお話。
高橋愛新垣里沙亀井絵里道重さゆみ田中れいな久住小春光井愛佳ジュンジュンリンリン。約2年に渡るメンバー固定の末に、彼女たち9人が同じステージで歌い踊った最後の1年、そこに何があったかをきちんと振り返るには、まず先に当時の空気を抑えておく必要がある。

彼女たちがモーニング娘。と呼ばれていた2009年は複数の分野で歴史が大きく動いた年でもあるのだが、そこにはいずれも、「民意」が共通のキーワードとして深く結びついていた。中でも象徴的なのは夏の衆議院議員総選挙における自民党から民主党への政権交代、そしてやはり同年夏に行われた、初のAKB48選抜総選挙である。

まず政治分野における2009年の「民意」を振り返ると、この年の選挙で自民党が歴史的敗北を喫し、政権与党の座から下ろされることになった。背景には、2007年に表面化した年金記録問題、そして2008年に起きたリーマン・ショック(世界金融危機)の影響がある。

年金記録問題では旧社会保険庁のミスにより、約5000万件の年金記録が“宙に浮いていた”ことが発覚。
またリーマン・ショックでは一時持ち直していた日本経済が再び大ダメージを受けてしまうのだが、当時の自民党政権はというと、短命内閣に相次ぐ失態・失言のイメージが重なり、国民からの信頼を日に日に失っていた。

「期待がもてない」「リーダーシップがない」。2009年当時の時事世論調査による自民党政権・不支持理由のトップワードには、数々のトラブルが国民生活を直撃する中、期待に応えられない自民党の舵取りへの国民の辛辣な評価がそのまま表れている。

それを踏まえると直後の自民党の敗北とはすなわち「明快な変革のストーリーをもって皆の期待に応えてくれる主人公」を多くの国民が待ち望んでいた、そんな渇望の証明であったともいえる。

そしてそんな日本国内のムードに、時を同じくして芸能分野でピッタリとハマったのが、2009年に初めて開催されたAKB48のシングル選抜総選挙だった。ファン投票で直接メンバーのポジションを決めるという、グループ内の人気序列をありありとさらけ出すことも意味したこのシステムは、華やかな夢を描いてアイドルになった少女たちにとっては、当然かなり残酷なものである。

しかしそんな彼女たちが投票という「民意」と結びつき、目の前の苦難を乗り越えて進んでいくドラマティックなストーリーは、結果的に日本中の関心を呼び起こし、ここから平成の芸能史に残る熱狂が生まれることになった。

「私がこの位置(1位)をいただいてもいいのかなと、今はそういうことしか考えられないんですけど、私はAKB48に自分の人生を捧げると決めているので」(前田敦子

初の選挙結果発表時、敗北を望んでいたアンチの声をその場で耳にしながら、1位スピーチに臨んだAKB48不動のセンター・前田敦子。そこには「明快な変革のストーリーをもって皆の期待に応えてくれる主人公」が、やはり人々の渇望の先で、鮮烈なスポットライトを一身に浴びていたのだ。

この「民意」のムードを踏まえて、改めてこの2009年のモーニング娘。の軌跡を振り返る。

やはり同年に続けてリリースされ、後にこの時期の代表作として認識されていく『泣いちゃうかも』『しょうがない夢追い人』『なんちゃって恋愛』の3作は、同時期のAKB48シングルに比べると歌詞が繊細で、求められる歌唱表現も極めて難しかったのが印象的だ。
この当時のモーニング娘。の方向性に対して、当時の総合プロデューサー・つんく♂は、こんな証言をしていたことがあった。

「この時期、モーニング娘。は2007年以来、オーディションが止まってるんですね。(中略)卒業後の進路が心配という、事務所の親心もあって。足踏み状態のような時期ではありました。とはいえ、ファンもライブにきてくれるし、メンバーは力をつけてきてるし。楽曲のクオリティを下げるわけにはいかないので、曲自体が難しくて、歌い上げる方向へ進んでいった」(※1)

※1 NHK BSプレミアム『モーニング娘。まるっと 20年スペシャル!』(2018年3月31日放送)

つまり黄金期の影に翻弄された日々の末に、この時期のモーニング娘。がたどり着いていたその答えは、クオリティを追求していくことで成長を妨げず、メンバーにとって実りある活動を1日でも長くさせることだった。そしてその選択が決して間違っていなかったことは、後の歴史が証明する。

この2009年に発売されたアルバム『プラチナ9DISC』、そして直後に同アルバムを引っ提げて行われた春ツアー「プラチナ9DISCO」における過去最高のステージングは、後の再評価とともに「伝説のプラチナ期」という敬意溢れる名称で、彼女たちが日本のアイドル史へ刻まれたその由来にもなっているのだ。


ただ、なぜその称賛は、肝心の2009年のモーニング娘。たちに届くことがなかったのだろうか。

それは今振り返ると、AKB48のように分かりやすい変革を渇望していた2009年の「民意」にとって、難易度の高い繊細な楽曲をアイドルが歌いこなすというプラチナ期の切り口は、決定的にすれ違ってしまっていたという、悲運でしかなかった。

「仕方ないと思っていましたけど、やっぱり悔しかった」(高橋愛)(※2)

「自分達がやっていることに自信があったから、知ってもらえさえすれば絶対に好きになってもらえると確信していました。そんなことを考えながら精神的にボロボロになっても頑張っていたけど、成果が出せず悔しかった」(道重さゆみ)(※3)

そして2009年の終わり、止まっていたグループの時間の針は再び動き出す。7期メンバーの久住小春が卒業を決断し、プラチナ期のモーニング娘。は、ここでついに1人欠けてしまう事になったのだ。

「モーニング娘。に加入してからずっとこの9人のメンバーで、本当の家族のようだった」(リンリン)(※4)

苦楽を共にし、しかし気づけば、平均年齢19.8歳まで成長していたグループ。そして残るメンバーにも青春の岐路はもう間もなく、訪れようとしていた。

※2 朝日新聞デジタル「高橋愛(前編) 低迷期に選んだ“質の向上”という奇手」
※3 ワニブックス「モーニング娘。 20周年記念オフィシャルブック」
※4 モーニング娘。
コンサートツアー2009 秋~ナインスマイル~ 2009.12.6 久住卒業公演より