【写真】『カムイのうた』でテルを演じた吉田美月喜 撮り下ろし写真【6点】
──映画『カムイのうた』で主人公・テルを演じてみて、いかがでしたか?
吉田 まずお話をいただいた時、私はアイヌ文化について詳しくなかったので、まずそこから勉強を始めました。そしてテルのモデルである知里幸惠さんのことも勉強して、役作りを進めていきました。撮影当時私は19歳で、知里さんが亡くなられたのも19歳。知里さんはいろんなものを抱えそれを命をかけて残していった方なので、知れば知るほど彼女の強さに惹かれましたし、同時に「自分よりもずっと大人だな」という印象も受けました。
ただ、実際に北海道へ行き「知里幸惠 銀のしずく記念館」で勉強させていただくと、そこには家族との可愛らしい手紙のやりとりだったり、19歳らしい一面も見えてきて。最初は遠い存在に思えたけれど、次第に自分に近い部分も見つけられて、親近感を持って演じることができました。
──演じる上で、菅原浩志監督からはどのような指示がありましたか?
吉田 菅原監督はリアルさを追求される方でした。作品内で私はムックリというアイヌ民族の楽器を演奏しているんですけど、一般的に映像作品では音は別に録って差し替えることが多いと思うんです。でも監督は「絶対に吉田さんの音で、現場で録ったものしか使わない」とおっしゃって。なので私はムックリの音を鳴らすところから練習を始めて撮影に臨みました。
あと、着物を着るシーンや袴をたたむシーンなど、日常的な動作は練習してほしいと言われたので、私も毎日家で動画を撮って練習しました。
──撮影も北海道で行なったんですよね。
吉田 はい、夏と冬に北海道へ行って撮影しました。夏は1カ月間滞在して、とても過ごしやすかったです。私は時代物の作品に挑戦するのが今作が初めてだったので、どのように気持ちを切り替えればいいんだろうと最初は悩みました。でも実際に北海道に行ってみて、その景色に助けられました。普段自分が見ている景色ではないからこそ、作品の世界観に入り込みやすかったなと思います。
──冬場の撮影はいかがでしたか? 夏と比べて、きっと厳しい環境だったと思うのですが。
吉田 そうですね、とにかく寒かったです。私は袴の下に現代の温かいインナーを着て撮影をしましたが、当時の方はどのようにこの寒さをしのいでいたんだろう? と思いました。また、当時使われていたものと同じ藁のブーツを履くシーンもあって。藁なのに水や雪が中にまったく入ってこなくて、アイヌの方の生活の知恵というか技術の高さに驚きました。
──『カムイのうた』は昨年11月より北海道で先行上映され、今年1月から全国上映が開始。吉田さんのもとにも感想や反響が届いているかと思います。
吉田 北海道先行上映の初日に、舞台挨拶に回らせていただきました。北海道はこの作品の舞台ですし、アイヌの血筋の方も多く観に来てくださったので、私は「果たして認めてもらえるのだろうか」と不安でした。でもいざ上映後に登壇すると、皆さん涙を流してくださったり、挨拶の言葉にも真剣に耳を傾けてくださって。地元の方に認めていただけたのはとてもうれしかったです。東京での上映が始まってからは、私の友達も映画を観てくれました。
最近はアニメなどでアイヌ文化が広まりつつありますけど、実際にアイヌの方々が受けていたことについて、私の世代は知らない子が多いんです。その友達が「こんな歴史があったなんてびっくりした。映画を通して知れてよかった」と言ってくれたのもうれしかったですね。
──吉田さん自身もこの作品を通してアイヌ文化や歴史に触れ、考えたことも多いと思います。
吉田 今作で共演した加藤雅也さんが、舞台挨拶で「この映画は当時の和人を悪く言っているわけでもないし、もちろんアイヌの方々を悪く言っているわけでもない。
当時の和人がアイヌの方々にしたことは許されることではないけれど、どちらも同じ人間なんだから、お互いに知ろうと努力したり歩み寄る気持ちを持っていればまた歴史は違っていたのかな、って。怖がらず、知ろうとすることが大切なんだとこの映画を通して私は感じました。
──改めて、『カムイのうた』はどんな作品になってほしいですか?
吉田 まず私は、日本でこういうことがあったと知ってショックであり驚きました。きっと知らない方も多いと思うので、知っていただきたいという思いが大きいです。またこの作品がアイヌ民族の方にとって意味のあるものになればうれしいです。大ヒットしてほしいというよりは、長く広く、じっくり知っていただき愛してもらえる映画になったらいいなと思います。
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