2014年、平成26年。単語だけ並べてみるとその記憶の近さに、思わず素通りしてしまいそうになるのだが、これを「平成の終わりまであと5年」と言い換えてみると、途端に印象が変わる。
もちろんこの頃は、天皇陛下の譲位という形でもうすぐ新しい時代がやってくることを、誰一人知る由もない。しかしその一方で、今思えば不思議とこの頃から、日本社会はまだ見ぬ新しい時代の始まりに向かって、自然に歩調を合わせ始めていた気もするのだ。
2014年3月31日、約32年に渡り続いた『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が放送を終了。5月31日、約56年の歴史を有する国立霞ヶ丘陸上競技場が、2020年東京オリンピック開催に伴う立替計画の為に閉場。これらの節目に共通して存在していた晴れやかさと喪失感というのは、どこか学生時代の卒業式に似ている。物事の分かれ道というのは、こちらが身構えて出迎えるよりも、何気なく過ごしていた時間の後に「あれがそうだったのか」と、発見することの方がよっぽど多いように思う。
モーニング娘。の歴史における分かれ道を、その日付まで指定せよと聞かれることがあったなら、今の私は間違いなく2014年10月5日を指す。
それはグループに約12年在籍し、まもなく卒業することが決まっていた道重さゆみを含む「モーニング娘。’14」にとって、初となるアメリカ・ニューヨーク公演の日。そして総合プロデューサーを務めていたつんく♂にとっても、生涯忘れられない記憶となった節目の1日である。
「ライブ前に会場に入り、メンバーを集めて、『歌えるありがたみ、ステージに立てるありがたみを、いつも忘れるな。ファンの皆様への感謝の気持ちをもって、独りよがりのライブにはしないように。お金を頂いている以上、プロとしての自覚を持つように』と、いつもメンバーに言っていることを改めて話した」(つんく♂)(※1)
実はこのとき、つんく♂はその胸に2つの事実を秘めていた。1つは体調面などを考慮した事務所との話し合いを経て、自身がハロー!プロジェクトの総合プロデューサーをこの2014年限りで退任すると決まっていたこと。
またもう1つは、このニューヨーク公演が教え子たちにとって、自身の声で直接伝えられる最後の「produced by つんく♂」になるということである。
「かすれてほとんど声の出ない僕が『歌えるありがたみを噛みしめろ』ということで、メンバーたちに何かが届くといい。僕はきっともう、この声では歌えない。
もっとも、このニューヨーク公演の開催が決まった2014年春頃のつんく♂は、自身が声を失う未来などまったく想像もしていなかったという。当時行っていた咽頭がんの放射線治療にも「早く喉を治して、モーニング娘。のニューヨーク公演に帯同し、それを成功させること。そして闘病中の僕を日々頑張って応援してくれてる家族にもニューヨークの空気を体感させてやること」(※1)を目標に、辛抱強く、そして努めてポジティブに取り組んでいたのである。
しかし治療の末に、一度は完全寛解(すべてのがんが消失し、新たながんが出現していない状態)と診断されていたはずのつんく♂の喉に、がんが再び発見されてしまう。つんく♂がその報告を受けたのは、まさに2014年10月、ライブに立ち会うために家族を連れて前乗りしていたニューヨークのホテルだった。
「とにかくすぐ帰ってきてください、治療法を検討しましょう」「このまま放置するとどんどん腫れていきます。帰りの飛行機も危険です。一刻も早く戻ってきてください」(※1)
この時の医師の言葉が、状況のすべてである。
しかしつんく♂は結果として、帰国せずにモーニング娘。のライブをそのまま見届けることを選んだ。
周囲の猛反対を押し切ってまで滞在を決断した心境を、つんく♂はこう振り返っている。
「家族と一緒に新しい道を作るんだ」「越えるべき山をキチンと越えたい」(※1)
彼が文字通り命をかけて臨んでいたモーニング娘。のニューヨーク公演は、横浜アリーナや日本武道館など、グループが今までに立ってきたステージと比べると規模こそ小さく、派手な演出もできない制約があった。
しかしいざライブが始まると、8割が現地アメリカのファンで占められていたという異国の客席から、割れんばかりの大歓声が巻き起こっていく。
ハロー!プロジェクトの総合プロデューサー・つんく♂にとって、このニューヨーク公演の熱狂は、長年に渡り注いできた音楽への情熱や愛情がまさに「越えるべき山を越えた」、そんな瞬間でもあった。そして同時に、彼は自身の愛する家族とも、その記憶を分かち合う。
つんく♂の妻は自然と流れ出す涙を何度も拭いながら、また子供たちはとても楽しそうに、同じ客席からステージを観てくれていたのだという。
「振り返れば、2014年10月5日、ニューヨークで、僕の音楽人生の半分以上を掛けてきた、ひとつの大きな『仕事』が終わった」(つんく♂)(※1)
終演後、つんく♂はもう一度メンバーたちの元へ向かっている。しかしこの日だけは、ダメ出しではなく、心からのねぎらいの言葉を自然とかけていた。
「よくやった。よう頑張った。かっこよかったよ」(つんく♂)(※1)
つんく♂が再び見つかったがんを取り除くために声帯を摘出し、そしてモーニング娘。を始めとするハロプロの新規作品から「produced by つんく♂」が一斉に消えたのは、それからまもなくのことである。
物事の分かれ道というのは、いつも後から見えてくる。そこに正解・不正解を当てはめるのも、時間は巻き戻せないからこそ、結局は何の意味も成さないのだ。
たとえどの道を選ぼうと、遠く離れた今日に残るのは、何気なく過ぎた時代の1つひとつが折り重なってできた、思い出の晴れやかさである。
そして旅立ちの別れによく似た、ただひとさじの、喪失感である。
※1 新潮社『だから、生きる。』(つんく♂著)