【別カット】志築杏里、撮りおろしカット
──非常にマルチに活躍されていますが、出発点はどこになるんでしょうか?
志築杏里(以下、杏里) 原点は歯科衛生士ですね。いや、ヤンキーってことになるのかな?
──では、学生時代のことから教えてください。
杏里 私、中学でいきなり退学になっているんですよ。もちろん中学は義務教育なんですけど、自分が通っていたのは私立だったもので。なにかひとつが問題になったというよりは、いろんなことの積み重ねで退学になった感じです。
高校はヤンキー高校だったんですが、退学寸前までは何度もなりました。ただ、なんとかギリギリ卒業できて、一応、大学にも行ったんですよ。ところが根本的にバカなものだから、単位が取れなくて1年で辞める羽目になってしまいまして。その頃ですかね、母親が倒れたんです。
──何があったんですか?
杏里 心労がたたったんだと思います。
それで友達にも相談したんですけど、「どう考えても杏里は家庭におとなしく収まるタイプではない」と言われまして。「シングルマザーになる将来とかも考えたら、就職率100%の歯科衛生士がベストだろう」ということで、そこから猛勉強して歯科衛生士の資格を取ったんです。
──いざとなると、ヤンキーは馬力がありますからね。タレント活動は、どのように始めたんですか? 真面目に歯科医院で働くだけでは、なかなかな世に出る機会もないように思えますが。
杏里 高校の頃から、ちょくちょく『egg』(ミリオン出版=現・大洋図書)とか『manba』(同)みたいな雑誌に載ったことはあったんですよ。それで歯科衛生士の学校に通っているときに、たまたま事務所に入っている子と知り合いになったんです。
なにかの番組で欠員が出たからピンチヒッターをお願いされて、その流れでパチンコ番組のレギュラーにしていただいたという感じです。それが18くらいのときだったかな。そうこうするうちに歯科衛生士の仕事より芸能のほうが比率的に多くなってきたから、徐々にスライドさせていったんですけれど。
──芸能に仕事というのは、基本的にモデル?
杏里 グラビアタレントということになるのかな? バラエティ番組に出させてもらったり、水着で撮影会やったり……。ただテレビには出ていましたけど、関西限定だったんですよ。だから派手に活躍するというより、“地元界隈で細々と”という感じでした。それで25歳のとき、『ケンコバのバコバコテレビ』(サンテレビ)という番組の中でアイドルを作るという企画があったんです。
──それがTEN6ですね。失礼ですが、25歳でのアイドルデビューってかなりの遅咲きだったのでは?
杏里 はい。だから、そこで3歳サバ読んだんです。でも、のちにBreakingDownに出るようになってから年齢詐称がバレて赤っ恥をかきましたね。Yahoo!ニュースとかにも載るし、よもや35歳になって公開処刑されるとは思いませんでした(苦笑)。
──実際のアイドル活動は、いかがでしたか?
杏里 正直、私はアイドルのことなんて何もわからなかったし、大して興味もなかったんです。そもそも最初は“ダンス&ボーカルユニット”という話だったんですよ。だけど実際に受かったらライブハウスは、これまで関わったこのとない人々だらけで、「なんなん、この空間!?」って度肝を抜かれて……。
──なんだかんだ言って、ハマっていたんでしょうね。
杏里 そうかもしれない。7年もやっていたくらいですしね。まぁ最終的にはクビになってしまうんですけど(笑)。
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