名古屋市出身の美人ハーフコスプレイヤー、きゃしーさん。自身の美ボディを芸術作品として日々世に発信している姿からは想像できないほど、内気な少女時代を過ごしていたのだとか。
反抗期の影響もあり、これまで数々のアルバイト経験を経た彼女がモデルの道へ進むと、2022年には「RIZINガール」へと華麗なる転身を遂げた。そんな彼女の半生に迫る。(前後編の前編)

【写真】生まれも育ちも日本の美人ハーフコスプレイヤーきゃしーさんの撮り下ろしカット【10点】

――きゃしーさんはハーフとのことですが、出身は日本なんですよね。

きゃしーさん 生まれも育ちも愛知県名古屋市で、ずっと日本なんですよ。今は上京していて4年くらいですかね、

――美人な妹さんもいて、一緒にコスプレしていましたよね。

きゃしーさん 妹とは2度イベントでコスプレをしました。彼女は趣味の範囲で楽しんいて、私は仕事としてどんどん表に出て行きたいと思っています。

――そんな社交的なきゃしーさんですが、昔からそうだったのでしょうか。

きゃしーさん いや、小・中学生のころは全然違いましたね。内向的な性格で、家でずっと絵や漫画を描いていていました。男性と話すと顔が真っ赤になっちゃうから話したくないし、目も合わせられないみたいな子でしたね。

――意外です!ちなみにどんな漫画を描いていたんですか?

きゃしーさん 中学生のときは青春学生漫画みたいなのを描いていました。
描いてきた漫画を見返したら、あまりに恥ずかしくて……。結局、ガムテープでぐるぐる巻きにして全部捨てちゃいました。

――では高校生のときは?

きゃしーさん 茶道部に入ってお菓子ばかり食べていました。ただ、それも半年ぐらいで、その後はバイトばっかりやってました。

――どんなバイトをしていましたか?

きゃしーさん 全部は覚えてないですが、漫画喫茶、クレープ屋、居酒屋に、うどん屋さん、工場のバイトもやりました。常に3つぐらい掛け持ちしていて、平日も土日もバイト三昧でしたね。昔から働くのは好きだったんですよ。

――ご家族とは仲が良いそうですが、今のお仕事に対してはどう思っているのでしょう。

きゃしーさん 最初はモデルの仕事がメインだったのですが、特に母親から「芸能の仕事は凄く苦労が多いからできればやって欲しくない」と言われていました。でも今は全部全力で応援してくれていて、いつも私がインスタグラムのストーリーズを更新すると全部スクショして、「うちの娘がかわいい」と会社で見せびらかしているのだと言っていました(笑)。

――モデル活動はいつからしていたのですか?

きゃしーさん 高校生の長期休みにサロンモデルのバイトをしていました。そのときの写真をインスタグラムに投稿し始めたら、インスタグラム経由で仕事をもらえるようになったんです。
高校を卒業してからモデルの仕事をやろうと思って、1年ぐらいは名古屋を拠点にしていました。

――上京した一番の理由はなんですか?

きゃしーさん 名古屋から東京に行く機会が多くて、だったらもう住んじゃおうかなと。母親からは「ひとり暮らしは20歳になってから」と言われてたので、20歳になる年に引っ越したんです。

――そこから「RIZINガール」にも合格すると。

きゃしーさん モデル活動を続けていた流れで、2022年に「RIZINガール」のオーディションを受け、ラウンドガールとしてデビューしました。1年間でしたが、本当に貴重な経験でした。あんなに大勢の視線を一気に浴びるのは初めてで、心臓がバクバク! 控え室では、ずっと手のひらに「人」って書いてました(笑)。

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