AAAのメンバーで、ソロアーティストとしても活躍中の與真司郎(あたえしんじろう)のフォトエッセイ『人生そんなもん』(講談社)が、4月16日(水)に発売される。今回、本書に掲載されている、自らのセクシュアリティを自覚するきっかけの一つとなったエピソードが公開された。


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AAAのメンバーとして2017~2019年に3年連続4大ドームツアーを開催し、ソロとしてもアリーナツアーを行うなど精力的に活動してきた與真司郎。2023年7月には自身が同性愛者であることを約2000人のファンの前で公表し、世の中に大きなインパクトを与えた。

その影響は国内にとどまらず、米紙「ニューヨーク・タイムズ」の「2023年世界に影響を与えた人々」に選出されるなど話題に。

来る4月16日には、自身の半生を振り返り、カミングアウト後に感じていることを赤裸々に明かしたノンフィクションエッセイ『人生そんなもん』を刊行予定。幼い頃から徐々に自らのセクシュアリティを自覚していったという與だが、幼稚園で言われた一言は今でもはっきりと覚えていて、「否定されて悲しかった」と話した。

自らのセクシュアリティを自覚するきっかけの一つとなったエピソードを、與は下記の通り明かしている。

僕は1988年11月26日に大阪府の枚方市で生まれ、小学校からは京都府の八幡市で育った。與家で3番目の子で、7歳上に姉、5歳上に兄がいる。幼い頃の記憶は曖昧であまり覚えていないけれど、性別に関することで明確に違和感を覚えたエピソードがある。

幼稚園生の頃、お絵描きの時間に僕はいつもピンクの画用紙を選んでいた。でもある日、先生から困ったような顔で「ピンクは女の子用だよ」と言われてしまった。その出来事を母親が先生から聞いたのか、家に帰ってから「真、青のほうがいいんじゃない?」と諭された記憶がある。


僕はただピンクが好きだっただけで、当時は自分の性自認も性的指向もちゃんとわかっていないような年齢だったけど、自分を否定されてしまった悲しさは今でもはっきりと覚えている。もしかしたらあの思い出が、自己否定ばかりしてきた僕の人生の原点かもしれない。

それから、父親がDV気質だったことも、僕の個性に大きな影響を与えてきたと思う。子どもの頃、父親は毎晩のように飲み歩いていて、夜中や朝方にベロベロに酔っぱらって帰ってきては、意味もなく大声で家族に怒鳴り散らす人だった。

母親や兄に暴力を振るうこともあったし、父親との楽しい記憶はほとんどない。当たり前のようにモラハラされる日々を過ごし、母親は食事が喉を通らないほど思い詰めていた時期もあった。

だから僕は、今でも「偉そうなおじさん」を見ると嫌悪感を抱いてしまう。そのトラウマはいまだに脳裏に残っているから、仕事などで上から目線で接してくる人と出会うたび、父親の残像が無意識によみがえり、不快感を覚える。

もしかしたら父親から十分に愛情を受け取れなかったからこそ、僕は子どもの頃から父性を感じさせる男性に憧れを抱いていたのかもしれない。

たとえば小学生の頃の野球のコーチ。多分当時そのコーチは30歳ぐらいで、寡黙で厳しいけれど、男らしくて包容力があった。子どもたちから信頼されていて、親御さんたちからも敬意を払われている人。


そんなコーチが、僕には眩しく見えた。振り返ると、あれが僕の初恋だったのかな。子どもだったから性的な感情はもちろんなかったけど、幼稚園児が先生を好きになっちゃうのと同じ感覚だと思う。

物心がついた頃の記憶は曖昧で、エピソードはあまり思い出せない。けれどこうしていくつかのことを振り返るだけでも、幼少期の過ごし方や出来事がその後の人格形成に大きく関わっているようにも思う。(本文より)

幼稚園でのエピソードを上記のように振り返るが、「この出来事は僕がまだ幼稚園児だった頃の出来事です。今はもっと理解が進み、さまざまな現場でセクシュアリティの多様性が認められ始めていると思います。一方でまだ理解が進んでいないシーンもあるので、少しずつ社会がいい方向に向かっていけるよう、僕にできることを一つずつ取り組んでいきたいと思っています」とも語ってる。

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