今月6日、AKB48が村山彩希卒業コンサートを開催した。およそ13年半のアイドル活動に幕を下ろそうとしているが、村山彩希とはいったいどんなアイドルだったのだろうか。
担当記者が振り返る。

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それにしてもよく埋まった。キャパシティ8000の大会場が村山彩希の晴れ姿を一目見ようと満員で埋め尽くされた。それだけファンに愛されていたということだ。

村山彩希は1997年の生まれ。幼少期から子役を始め、芸能活動をスタートさせた。『3年B組金八先生』『連続テレビ小説 瞳』といった有名ドラマや有名アーティストのMV、著名企業のCMにも出演した。華々しい経歴に見えるが、本人は「『アンフェア』に出ていたおんちゃん(向井地美音)には勝てない」と謙遜する。

子役活動に区切りをつけた後の中学時代、AKB48のオーディションに申し込む。13期生として活動を始めるも、すぐに脚光を浴びることはなかった。若手ユニット「でんでんむChu!」に抜擢されたが、センターだったわけではない。柏木由紀に憧れていた。
センターにもなりたかった。しかし、活動を始めると、思い通りに事は運ばなかったし、性格的には目立ちたがり屋でもなかった。

彼女の名前が知られるようになったのは、選抜総選挙に不参加を表明してからかもしれない。2015年の第7回以後、立候補しなくなったのだ。これは、ランクインすれば、仕事が増え、劇場公演に出演できなくなるからだった。選抜総選挙に立候補制が採用されたとはいえ、なんとなく出馬するものという空気が蔓延していたが、村山は自分の意志を貫いた。それほどまでに、村山は劇場公演に価値を見出していた。

東京・秋葉原のAKB48劇場は、グループにとってのホームである。しかし、それがテレビに映されるわけではない。選抜メンバーの多くは各メディアから引く手あまただし、メンバー自身がそうなることを願っていた。ところが、村山は違った。劇場で腕を磨くことを選んだ。
それが自身の価値を作っていった。

何事も継続することが大事だ。村山は違うチームの公演にも出演し、回を重ねていった。2020年には通算公演出演回が1000回に到達。2025年5月の時点で1300回を超えている。これはAKB48史上最高の数字だ。

AKB48は目標としていた東京ドームにたどり着き、前田敦子、大島優子らは“神7”と呼ばれ、栄華を誇った。日本レコード大賞も受賞し、ドームツアーまで行った。全国の小学生がAKB48の曲を踊るようになった。その当時のメンバーに後輩たちはなかなか勝てないというのが実情である。

しかし、村山は自らの生きる道を劇場公演に見出し、先輩たちができなかったことを超えていった。しかも、この記録は一時的なモチベーションで達成できるものではなく、長い間、気持ちを持続させなくてはならない。
自分にできることを探し、その上で先輩たちを上書きした。ここが彼女のもっとも偉大な点だ。

公演では、ただ歌って踊っていたわけではない。彼女にとっては1回1回が勝負。その結果、歌に関しては、昨年の「AKB48グループ歌唱力No.1決定戦」で2位を獲得するまでに至った。ダンスについてはAKB48トップクラスだ。

AKB48で磨いた技術を卒業後は舞台で発揮していく。今夏、ミュージカル「新・幕末純情伝」(作:つかこうへい)に主演として挑戦すると先日、発表された。突き詰めるタイプだけに、卒業後はミュージカルに向けてすべてを犠牲にするはずだ。だが、卒業コンサート後の囲み取材では、「(ミュージカル以外にも)何でもやりたいです」と意気込んだ。

卒業コンサートは終わったが、卒業公演は自身の退場日である6月15日に行われる。その後の村山彩希がどう生きていき、何を見せてくれるのか。
今から楽しみでならない。

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