【写真】おもしろ荘優勝でブレイクしたネコニスズ
──ヤマゲンさんは前グループ・ガスマスクガール時代も数えると、芸歴約19年。これまでを振り返っても今が一番ですか?
そうですね。手ごたえは今までの芸人人生の中でダントツですね。これまで長い時間、メッチャさぶ~い状況が続いてたので。もう、これまでのバイト人生は苦でしかなかったですねえ。ただ、舘野はきっと「全然苦じゃなかった」と言っていますよね?
──挫折はありつつ、そこまで不安はなかったとおっしゃっていました。
舘野は、お笑いができるだけで心が満たされるタイプなんです。僕はお笑い好きでありつつ、ちゃんと飯を食いたいという意識があるから、ソッコーでバイト辞めて、お笑いだけで飯食いたかった。
──舘野さんはドリーマー寄りで、ヤマゲンさんはリアリスト寄りですね。地に足が付いていると言いますか。
もしかしたら昔は大きな野望があったのかもしれません、冠番組持ちたいとか。それがこの10何年でなくなった(笑)。もしかしたら、結果も何も残していないのに、デカいことを言うのが恥ずかしいと思うようになっていったのかも。モチロンM-1優勝したいですけど、「行けたらいいなあ」ぐらいになっていましたね。
──中々芽が出ない中でも、ヤマゲンさんは『フリースタイルティーチャー』(テレビ朝日系)での優勝や、弟の山本環監督、俳優の山元駿さんとの映像クルー「FUTANOGO」で制作した短編映画『ブラック』が「京都国際映画祭」で最優秀賞を受賞されたりと、個人仕事で輝く機会がありました。その活躍を舘野さんはどのように見ていたのでしょうね?
多分アイツはイヤやったと思います。「嫉妬していた」と言われたこともありましたから。けど、僕としては自分の活動で少しでもネコニスズという名前が世に出ればいい、人に伝われば良いと思っていて活動していたので、嫉妬せんといてくれって思っていました。
──そうした上手く歯車がかみ合わない日々、何が心の支えになっていました?
双子の弟たちの存在ですね。上京後も一緒に住んで、三人で芸能の世界にボンヤリと身を置きながら「頑張って売れような」というありきたりなキラキラした熱い話をしたりして、モチベーションを保っていましたね。
あとは同期や仲間の存在ですね。僕は見取り図が同期で、彼らが売れていく様を見てはモチベーションにしていましたし、東京に出てきてから仲良くしてくれたウエストランドがM-1で優勝したのもすごく嬉しくて。僕が面白いと思っているヤツが活躍している。そしてそいつは僕らを面白いと思ってくれている。なら俺らもいつかみんなの仲間入りできるはずだと、すごく勝手ながら考えていました。
それと、テレビが家になくて、みんなの活躍もXでしか知らない分、ダメージが少なかったんかも。活字でしか情報を得ていないんです。そのせいか、売れている人が全くわからないんです。
──少し前に舘野さんと京本大我さんが似ているという話題が出た時も、話を合わせつつ「ん?」状態だったと。
正直申し訳ありませんが舘野から知りました、京本政樹さんの息子さんなんや!って。情弱も良い所ですよ、芸人こそアンテナ張らなアカンのに。この前も営業で、僕がノーズフルートという鼻で吹く楽器ができるんで、何か好きな曲を吹くからリクエストどうぞと聞いたら、小学生ぐらいの子から「(Mrs. GREEN APPLEの)『ライラック』やって!」と言われ、シンプルに「誰の何?」って返して、メッチャ笑われましたから。けど、何で笑われたのかサッパリわからない。完全に浦島太郎状態ですよ、メッチャ恥ずかしい。もっと色々な世界を自分の目で見なアカンと思っています。
──かなり無頼な生き方ですね。良い意味で時代と無理やりリンクしようとしない。
ホンマは無頼で生きていきたいんです。まあ、メッチャ人に頼りまくっているし嫁に助けられっぱなし。
──家庭に軸を置く方が個人的に良い気がします。今はSNSでの揚げ足取りが盛んなので。
……そうですよね。積極的に「良いパパやっています!」アピールはせんとこうと思っています。何か出た時に、超特大のパワーボム食らって二度と立ち上がれなくなるのはイヤですから(笑)。ほどよく「赤ちゃんにツッコむ、イヤなヤツ」として、ほどよく嫌われていこうと思います。
──アハハ。嫌われ続けるのも大変だと思います。
いやいや、気楽なもんですよ。永遠に言い返し続けますから、「黙っとけ!」って(笑)。けど、そう言い続けるにはもう少し上に行かないととは思いますね。
──そうなると、やはりM-1での活躍が必須になってきますね。
ですね。優勝まで行かなくとも決勝に行けば「漫才師やっていいよ」という免罪符をもらえるような気がしているんです。
【前編はこちら】相方が急に「赤ちゃん」に…ネコニスズ・ヤマゲン「賭けでした。だってキモイじゃないですか」