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このコラムを書いている私(=小林久乃)は、平成初期から現在に至るまで、連続ドラマをずっと愛して、趣味で視聴を続けてきた。そんなオタクが2025年の春ドラマでは、歴史的瞬間に立ち会っている気がする。『続・続・最後から二番目の恋』(フジテレビ系)にはその要素が詰まっている。
ではドラマの何がすごい? と問われれば、いの一番に挙げたいのは「第一シリーズの放送から13年間経っても、キャストが全員揃っている」。これに尽きる。主演の小泉今日子と中井貴一をはじめ、メインキャストの飯島直子、坂口憲二、内田有紀は見た目も変わらず奇跡の中高年が並ぶ。その中でも中井演じる長倉和平の娘役・白本彩奈は小学生から作品に出演、現在23歳と少女から女性へと成長しているのも、普通の人が聞いたら驚くだろう。私のようにセリフが言えるほど作品を繰り返し観ているファンは「えりな(白本役名)でしょ。知ってる」と、長倉家の親戚のおばさんのようにドヤ顔を決める。
その他キャストの中には亡くなってしまった俳優もいるけれど、他は同じ顔ぶれ。
「誰ひとり欠けても作らないと決めていたドラマなんですよ。出演者の全員が揃って初めて成立するのが『最後から二番目の恋』で、そのタイミングだった」
朝のニュース番組『めざましテレビ』(フジテレビ系)のインタビューで、中井がコメントしていたけれど、その通りだ。
平成にもシリーズ名作品はいくつも誕生している。『渡る世間は鬼ばかり』(T B S系・1990年)、『相棒』(テレビ朝日系・2000年)、『孤独のグルメ』(テレビ東京・2012年)など。でも10年以上ぶりに同じキャストで放送された連続ドラマは、『続・続・最後から二番目の恋』以外に、私の脳内データでは思い当たらない。どうかこのままタイトル冒頭に“続”が増えて、フジテレビを代表するご長寿ドラマになってくれと願わんばかり。
ご長寿ドラマとして継続してもらうためには、作品の設計図である脚本家の存在が要。『最後から二番目の恋』の脚本を担当している岡田惠和は、66歳だ。年齢だけ聞くと一瞬たじろいでしまうけれど、安心してほしい。彼は会社員ではなくフリーランスで活躍する脚本家。
それにしても岡田惠和の奏でる脚本も、本当にすばらしい。第一シリーズ放送当初から、名言、至言の連発で、会社員ではないのに当事者の気持ちをよく取材しているのがセリフから伝わってくる。女性の心の機微の表現に関しては『架空OL日記』(読売テレビ・2017年)のバカリズム以上に理解度がある。そんな彼が書いたセリフの中で、溜飲を下げられたのが第7話のワンシーン。
ドラマの企画が浮かばなくなっていた長倉万里子(内田)と、長年、吉野千明(小泉)と一緒にドラマを制作してきたスタッフの飯田(広山詞葉)と、三井さん(久保田磨希)で飲んでいた。万里子を心配した二人による飲み会だ。
万里子:いつか千明さんがおっしゃっていたんです「正直言って、私は共感という言葉が好きじゃない。よくわからない」と。
飯田:私も聞いたな、それ。千明さんはお母さんに「とにかく本を読め、どれが絶対に人生を豊かにしてくれるから」(と言われた)
三井さん:本を読むこと、物語を読むこと。
話題にしている本人がいないのに感動が成立している。実生活では割とあるけれど、芝居とでは、話題にあげる人物の説明も必要になるので、なかなか見かけない。でも本作では吉野千明のキャラクターは視聴者に浸透している前提があって、このシーンが作られたのだと思うと、何度も褒めてしまうが、やっぱり『続・続・最後から二番目の恋』はすごい。
千明の言った「共感がわからない」には、私もよく分かる。本、コラム、エッセイ、ラジオなど発信を生業にしていると、たびたび共感や同調の圧力に悩まされる。本来は使用にためらう言葉であると、疑問の感覚にはあるのに「今、使ったほうがいいから」と押されて、ついキーボードで打ってしまう、共感。今回の千明のアドバイスで決めた。もう使わない。
そしていよいよドラマも最終章へ突入。終わってしまうのは寂しいけれど、また必ず続編はあると期待を膨らませておこう。
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