中学3年生で鉄道アイドルグループ「ステーション♪」に加入し、芸能界デビューを果たしたなな茶。現在はTikTokのフォロワー数360万人超、グラビアや経営の分野でも活躍の場を広げているが、その裏には壮絶な下積み時代があったという。
デビューからブレイクまでの道のりを振り返ってもらった(前後編の前編)。

【写真】グラビアも話題に、なな茶の撮り下ろしカット【10点】

――芸能界入りには、お父さんの影響もあったそうですね。

なな茶 はい。実は幼い頃から静岡でスカウトされることが多かったんですけど、シャイだったので全部断っていたんです。でも思春期に入ってから、お世話になったお父さんの願いを叶えたいと思って。アイドルのオーディションを一緒に応募しました。

――「お世話になった」というのは、幼少期の苦労も関係していますか?

なな茶 そうですね。一番つらかったのは幼稚園の頃。母は17歳、父は19歳で私を産んだんですが、母は高校生で父はフリーター。お金が本当になかったんです。母が家に帰ってこないことも多くて、父が一人で子育てと仕事を抱えていて、電気やガスが止まることもありました。当時、父は実家から勘当されていたので、援助も受けられず……。
離婚してからは支えてもらえるようになったけど、それまでは本当に大変だったと思います。

――駐車場のつくしを食べていたというのも本当ですか?

なな茶 本当です(笑)。食べ物がなくて。何をかければご飯が安く食べられるかって感じで、卵1個を3人で分けて食べることもありました。

――そうした経験もあって、アイドルの道へ?

なな茶 それもありますけど、受験勉強を避けたかったというのも正直ありました。勉強は嫌いじゃなかったけど、部活でバスケや駅伝に夢中だったし、何より加護ちゃんが大好きだったので。「加護ちゃんになれるなら受験しなくてもいいや!」って(笑)。

――中3で「ステーション♪」に加入。当時のオーディションは大変でしたか?

なな茶 いえ、実は『De☆View』に載ってたオーディションをまとめて応募したんです。一番合否が早かったところに所属しました。最初は女優も目指していたけど、台本も覚えられなかったし演技も下手で……結局アイドル1本に絞りました。

――静岡から東京への通い生活。
交通費の問題もあったとか?

なな茶 事務所のジョリー・ロジャーが倒産して、当初支給されるはずだった交通費が出なくなったんです。夜行バスも禁止されていたので、新幹線の往復1万6000円を父が毎回出してくれて。高校生になってアルバイトができるようになってからは、一緒にやりくりしていました。

――アルバイトもされていたんですね。

なな茶 「ステーション♪」時代は事務所のアイス屋さんで、東京での仕事の合間に2~3時間だけ働いていました。その後、別のグループに移籍してからは上京し、生活費も交通費もすべて自分で賄う条件だったので、多いときはバイトを5つ掛け持ちしていました。

――5つも!?

なな茶 ロッテリア、吉野家、クリーニング屋、とんかつ屋、ビールの売り子に加えて、空き時間には派遣の工場バイトも。ロッテリアには最終的に7年くらい勤めて、バイトリーダーまでやってました。

――相当な苦労があったんですね。

なな茶 本当にお金はカツカツで。「何食べてたんだろう?」って思うくらい(笑)。高校時代は平井駅近くの家賃3万3000円の女性用シェアハウスに住んでたんですけど、ライブ帰りで帰宅が遅くなると「また帰ってきたよビッチが」って陰口を言われたり、バイト先に偵察に来られたり……いじめもありました。


――精神的にもきつい時期だったんですね。

なな茶 はい。でもその分、アイドル活動には全力でした。修学旅行や文化祭にも出られなかったけど、「これが私の青春だ!」と思って頑張っていました。

――高校卒業後は大学へ。何か学びたいことがあったんでしょうか?

なな茶 実は過食症になってしまって、芸能活動を続けられなくなったんです。東京に来て食生活が激変して、寝られない日が続いて20キロ近く太ってしまって……。白米を泣きながらひたすら食べ続けていたら、病院で過食症と診断されて。限りなく鬱に近い状態だったので、一度芸能から離れようと思ったんです。でも「お父さんに迷惑をかけたのに、今は帰れない」と思って、大学に進学しました。

――その後、再びアイドルとして活動を再開されました。

なな茶 はい。
普通の大学生として過ごしていたときに、「ステーション♪」時代に知り合った鉄道関係者の方から「またやらないか?」と声をかけてもらって。鉄道アイドル時代が一番楽しかったので、もう一度やってみようと思いました。

――その後のグループ時代は少し違った?

なな茶 17~18人の大所帯だったので、人気を取るのが大変でした。仲が悪いわけじゃなかったけど、胸が大きくて衣装が入らなかったときに「太った」と言われたり、衣装を壊して先輩に怒られたり……。そういうことの積み重ねでメンタルがやられてしまって。今となって思うと、メンバーにお金を払えていなかったのが原因でみんなギスギスしていたんじゃないかと。

――ギャラも少なかったと。

なな茶 その時はほぼノーギャラでしたね。さらにその後に3つのグループを掛け持ちしていたときに、ようやく月10万円くらい。やっとバイトを減らせるようになったくらいですね。

――なぜそんなに少なかったのでしょう?

なな茶 売れてなかったからです。今は「アイドルもお金をもらって当然」という風潮ですが、当時は「夢を追うならお金をもらうなんてとんでもない」という空気で、むしろお金を払っているくらい。
それが普通だと思ってました。

――本当に過酷ですね……。

なな茶 今はきっと違うと思いますが。

▽なな茶(ななちゃ)
2月11日生まれ。静岡県浜松市出身。中学3年で鉄道アイドルグループ「ステーション♪」に加入。以降、「アイドルカレッジ」「ALLOVER」「黒のシャーナ」などに所属し、「サキドルエース」11代目グランプリを受賞。TikTokでは「パイスラお姉さん」などの動画がバズり、フォロワー数は約360万人。2023年には浜松市の親善大使「やらまいか大使」に就任。2024年には個人事務所「Clara Production」を設立。

▽公式X
https://x.com/nanaki_chiba

▽公式Instagram
https://www.instagram.com/nanacha_0211 

【後編】なな茶、コンプレックス乗り越えTikTokドリーム掴む「ただ胸出してるだけでは300万超えられない」
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