【写真】俳優生活50年、女優・大地真央の撮り下ろしカット【7点】
大地が演じた主人公は、コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコの三姉妹を育てたコシノアヤコ。そして映画は、危篤状態に陥り病院に搬送されたアヤコのところに3人の娘たちが駆けつけるなか、アヤコの前に天使が登場し、彼女の人生に審判が下されようとするところから始まる。アヤコは、洋装店の開業や、初めての恋、74歳でのブランド立ち上げなど、波乱の人生を回想していく。
――意外にもこの『ゴッドマザー』が大地さんの初めての主演映画となりました。
大地 はい。映画では初めてですね。15歳から92歳までの77年間を演じると言う、とってもハードルの高いオファーだったのですが、1人の人の人生を、1人の役者が演じることに意味があるとおっしゃられて。そこは成る程と共感しましたが、最初は戸惑いもありました。でも、様々な資料を読ませていただくうちに、「コシノアヤコ」さんという正しくゴッドマザーと言うのに相応しい方の、その魅力に惹かれて行き、やらせていただきたいとお受けしました。
――また、コシノアヤコさんを15歳から92歳まで演じています。
大地 1人の人の生涯を演じる機会は何度かありました。
舞台は、言わばずっと引きの世界ですが、映像は多彩な角度から撮っていきますので、より細やかな演技とリアリティーが必要になってくると思います。それに、舞台と違ってストーリーに沿って撮影していく訳ではないので、シーンごとに『アヤコさんは今何歳で、世の中は、この時の心情は……』と、メモをして、想像を膨らませていきました。
――そして、少女時代から演じることになりましたが、意識したことは?
大地 アヤコさんは男の子とケンカしても勝ってしまうような、おてんばな方だったそうです。なので、髪はおさげでも、喋るスピード、トーン、動きから躍動感が出るようにと意識しました。
――コシノアヤコさんの故郷・岸和田が舞台なので、コテコテの岸和田弁も話していますね。
大地 岸和田の言葉って、関西の中でも独特なんです。神戸とも京都とも、河内とも違って。さらに、今では使わない言葉遣いも掘り起こしました。岸和田らしさをテンポよく表現できるよう方言指導の方と監督と相談しながらセリフを作っていきました。
――彼女の生涯を演じてみて、感じたことはありますか?
大地 どんなことがあっても前を向いていくこと、何歳になっても挑戦に手遅れはないことですね。アヤコさんは戦中から戦後、平成と、一家の大黒柱として家族を守り、娘たちを育て、その後は娘たちに負けていられないと74歳でブランドを立ち上げました。
――これまでの俳優歴でも多彩な歴史上の人物を演じてきましたが、やはり感銘を受けてきたのでしょうか?
大地 それは多かれ少なかれ、あると思います。皆、心根が強く、困難を乗り越えて行くんです。例えば『風と共に去りぬ』のスカ―レット・オハラは、『明日考えよう。明日は明日の風が吹くわ』の名セリフもありますが、常に前を向いて生きている。そんな風に芯が強いから、ヒロインになれるのだと思います。アヤコさんも、そのチャレンジ精神で『向こう岸、見ているだけでは渡れない』を実践してきた人です。私もそこに刺激を受け、ポジティブに演じさせていただきました。
――そしてもし、映画の中のコシノアヤコさんのように人生を振り返るとしたら、何を思いますか?
大地 これまでの全てですね。反省はしても、後悔はしたくないですね。これまでの出来事全てに意味があったと納得できる生き方をこれからもして行きたいです。俳優と言う職業においては、自分ではない別の人の人生を演じるということなので、その人の生き方にも責任を持つということだと思っています。
――今作も、また一生懸命生きて新しい経験ができたと。
大地 できるものなら1年ぐらいかけて演じたいほど魅力的なエピソードがまだまだありましたが、2時間弱で、アヤコさんの凝縮された人生をテンポよく15歳から92歳まで1人で演じるという今回の企画は、私にとって新しい挑戦でしたし、とっても有り難い経験となりました。
大地真央(だいち・まお)
兵庫県淡路島出身。1973年に宝塚歌劇団に入団。82年に月組トップスターとなり、85年に退団するまで務める。退団後の主演舞台は『風と共に去りぬ』『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』『ローマの休日』『夫婦漫才』など多数。近年は2018年から出演中の『アイフル』CMでの女将役も話題になっている。
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