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1979年10月から放送が始まったドラマ『3年B組金八先生』(TBS系)に、生徒である沢村正治役で出演し一躍人気者になった田原は、翌1980年6月にシングル『哀愁でいと』でレコードデビュー。
トップアイドルとして80年代アイドルブームを牽引し、俳優としても『教師びんびん物語』シリーズ(フジテレビ系)などに主演。90年代に入り、旧ジャニーズ事務所から独立後もアイドルとして精力的に活動を続けている。
プライベートでは今年3月に長女・可南子と俳優・高良健吾夫妻に第一子が誕生し、田原はおじいちゃんとなった。
そんな田原が「ライブで絶対にしないこと」として明かしたのは「口パク」。80年代の歌番組は生放送が多く、「ずっと生で鍛えられた。イヤモニもしないし。生で歌った方がお客さんも乗りやすいし盛り上がる」と、生歌にこだわる理由を語った。
そんな田原に対し「同期のアイドルの皆さんとは今でも仲良しっぽい」というイメージをぶつけたのは、木曜レギュラーの島崎和歌子。
田原は「△」の札をあげ、「僕の時は(松田)聖子ちゃん、河合奈保子ちゃん、岩崎良美ちゃん、松村和子さん、女の子ばかりだった」と言い、「今も聖子ちゃんなんてバリバリやってますし。今はあまりそんな(交流は)ないですかね」と、現在は当時ほど頻繁な交流はないと答えた。
しかし田原は「1カ月前、明菜とメシ食いましたよ」と、アイドルとしては2年後輩の中森明菜と食事をしたことを明かし、「元気でしたよ。相変わらず可愛かったですよね。
島崎からどんな話をしたのかを問われると「それは秘密です」とニヤリ。「でも、今年またライブやるって言ってました。一昨日も、僕がぎっくり腰になったら『トシ、大丈夫~?』ってLINE来ましたね、すぐ」と語り、「今年は私もやるって言ってたんでね。皆さん本当に楽しみにしてください」と、中森に代わってPRしたのだった。
さらに島崎からコラボの可能性を問われると、田原は前向きな姿勢を見せ、「絶対頑張ってほしいよね、本当にいい子なんでね」と重ねてエールを送るのだった。
報道によると、今年こそ中森に「紅白歌合戦」に出場してもらいたいと、NHKも本腰を入れて中森サイドにアタックしているのだとか。
大みそかの大舞台で、田原と中森という80年代を代表するアイドルの競演を見てみたいものだ。
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