【写真】桐島聡容疑者を演じた毎熊克哉、撮り下ろし&『桐島です』場面カット【8点】
――『「桐島です」』のオファーはいつ頃あったのでしょうか。
毎熊 2024年の5月頃でした。桐島聡が亡くなったのが1月29日なので早いですよね。その時点で脚本も完成していて、「ホン(脚本)を読んだ上で、会ってお話ししましょう」ということでクランクインの1ヶ月前くらい前に出演が決まりました。
――桐島のことは以前からご存知でしたか?
毎熊 顔と名前は知っていましたが、事件のことは詳しくは知りませんでした。
――指名手配に使われた写真は一度見たら忘れられないインパクトがありましたよね。
毎熊 なんでインパクトがあるんでしょうね、おそらく普通の若者っぽさがあって、そこに違和感があって覚えていたんだと思います。
――脚本を読んでどんな印象を受けましたか。
毎熊 脚本を読む前は、もっと(政治的な)尖った映画なのかなと思っていたのですが、そんなことはなくて。序盤で東アジア反日武装戦線や一連の爆破事件について描かれていますが、桐島自身は「こうあるべきだ!」と強く主張する訳ではなく、いたって普通の感覚の青年なんですよね。そうした事件の背景よりも、なぜ死の間際になって桐島が本当の名前を名乗ったのかが、誰もが気になるところで。映画の大半は、そこに至るまでの淡々とした逃亡生活の日々が描かれています。
――桐島に関する資料はほとんどない訳ですよね。
毎熊 ないですね。事件のことを調べても、桐島の名前は出てこないですし、制作陣がいろいろ調べて、それを基に脚本も書かれていますが、謎のほうが圧倒的に多いです。
――どのように人物像を作り上げていったのでしょうか。
毎熊 この映画にも出て来る奥野瑛太さん演じる宇賀神寿一さんの著書や、事件に関する書籍や資料を読み漁ったのですが、関係者に会った訳ではないので、本物の桐島の人物像を探るのは難しい。そんな中で指名手配に使われた写真や、逃亡中に撮られた50代の頃の動画を見て、ああいうふうに無邪気に笑う人なんだなと、一つのヒントにしました。また少ないながらも桐島を知る人の証言もあるので、そこまで存在感のある人物じゃなかったんだろうなとか、そんなに主張するようなタイプでもないんだろうなとか、僕なりに想像を巡らせました。
――髙橋伴明監督の作品に出演するのは『禅 ZEN』(2008)以来になります。
毎熊 出演したといっても、自分でもどこに出ているのか分からないぐらいのエキストラの役で(笑)。キャリア的にも役柄的にも監督と気軽に話せるような立場じゃなかったですし、ちゃんとお話ししたのは今回が初めてでした。
――当時の撮影現場で印象に残っていることは?
毎熊 僕は3年間、映画学校に通った後に俳優になったのですが、卒業した直後だったので当時21歳、初めての映画の現場が『禅 ZEN』でした。修行僧の役だから、頭は剃ったものの、今思えば深く本も読めていなかったですし、社会見学のような気持ちで参加していた気がします。でも当たり前なんですが、関わっているスタッフ、キャスト全員が緊張して臨んでいるんですよね。映画学校で学生がやっているようなレベルとは全く違う、本物の現場の緊張感がありました。
――今回、主演として伴明監督とお仕事してみていかがでしたか。
毎熊 監督は口数が多いわけではないのですが、現場にいる全員が意図を汲み取ろうと集中していて、ワンカット、ワンカットが重く、自然と本番への緊張が高まる空気感でした。『禅 ZEN』のときは端役だったので、今回自分が真ん中で伴明監督と関わっていると思うと感慨深かったですし、うれしかったですね。あと印象的だったのは撮影が進むのが速かったことです。「こういう動線でやってみましょう」という段取りの後、一回テストをやってから本番という流れでしたが、本番は最初のテイクでOKになることがほとんどで、よっぽど何かない限りはワンテイク。僕たちキャストやスタッフを信頼されているのだなと思いました。
――最後に映画の見どころをお聞かせください。
毎熊 映画は事実を基にしつつ、フィクション部分も多々あります。特に逃亡生活に入ってからは、一つの可能性としての桐島聡なんですよね。難解な作品ではないですし、ある種の“青春映画”になっているので、この事件や時代背景を知っている方はもちろん、若い世代にも観てもらいたいですね。
【後編はこちらから】映画『桐島です』主演・毎熊克哉が語る“逃亡者”桐島とブルースの共鳴点「哀愁に重なった」