2024年1月26日、1970年代の連続企業爆破事件で指名手配中の「東アジア反日武装戦線」メンバー、桐島聡容疑者とみられる人物が、末期の胃がんのため、神奈川県内の病院に入院していることが判明、報道の3日後の29日に亡くなり、約半世紀にわたる逃亡生活に幕を下ろした。この謎に満ちた桐島聡の軌跡を映画化した『「桐島です」』で主人公を演じる毎熊克哉に、音楽にまつわるエピソードを中心に話を聞いた。
(前後編の後編)

【写真】桐島聡容疑者を演じた毎熊克哉、撮り下ろし&『桐島です』場面カット【8点】

――本日は毎熊さんの所有するレコードから、70年代から80年代にかけて活躍したファットバック・バンドの『Keep On Steppin’ 』(1974)と、昨年亡くなったマリーナ・ショウの『Who Is This Bitch, Anyway?』(1975)を持参していただきました。

毎熊 レコードを買い始めたのは2年前ぐらいですが、どちらも昔から聴いていたアルバムです。最初に買ったレコードが『Who Is This Bitch, Anyway?』なんですが、初めて聴いたのは二十代のとき。僕は高校時代、ストリートダンスにハマっていたのですが、ファットバック・バンドのように踊れる曲を中心に聴いていたんです。ただ二十代になると踊ることもなくなって、いろいろな音楽を聴いていく中でマリーナ・ショウに出会いました。当時、めちゃくちゃ聴いていた訳ではないんですが、年齢を重ねて、「ああ、渋いなぁ」と枯れた色気を感じるようになったんですよね。

――ストリートダンスにハマっていた頃はファットバック・バンドで踊ることもあったんですか?

毎熊 ファットバック・バンドはソウルダンスというダンスのジャンルで使われることが多いんですが、ダンスで使うことはなかったですね。というのも、こういう楽曲で、シンプルな動きで踊るのは難しいんですよ。僕がよくダンスで使っていたのはケミカル・ブラザーズやテクノ系の音楽だったんですが、若さと勢いでごまかせるんですよね(笑)。

――そもそもダンスを始めたきっかけは?

毎熊 母親がジャズダンスやバレエのダンサーだったんですよ。僕が生まれる前に活動していて、子育てが落ち着いてからは、ダンス講師として活動していました。僕自身は母がやっていたダンスのジャンルに興味がなかったのですが、ある日、母がストリートダンスのビデオを観ていて、それをたまたま観たのが始めたきっかけです。


――どういうきっかけでレコードを集め始めたんですか。

毎熊 もともとレコードには手を出さないようにしていたんです。集め出すとキリがないし、スペースの問題もありますからね。でもレコードプレーヤーをもらったので、調子に乗らない程度に集め始めました。だから今も所有枚数は15枚程度。他にはバド・パウエルやジェームス・ブラウンなどを所有していて、絶対にアナログで欲しいかどうかという基準で購入しています。

――値段の上限も決めているんですか?

毎熊 マックスで1万円と決めています。今のところ2000円から5000円くらいの間で、中古で買っています。あまり熱中しないように自分で制限をかけているんです。これから増えたとしても40~50枚くらいですかね。

――『「桐島です」』の後半でギターの弾き語りシーンがあります。ギターを覚えていくところから描かれていますが、毎熊さん自身、ギターの経験はあったのでしょうか。


毎熊 初めてでした。練習期間は1か月ぐらいで、歌手のキーナ役を演じた北香那さんと一緒に何回かレッスンも受けたのですが、ギターを弾くだけではなく弾き語りなので難しかったですね。弾き語りをする振りで撮ることもできますが、逆に後で音源と合わせるほうが難しいんです。だったら、ちゃんと自分で弾き語りをしたほうがいいなと思って練習しました。

――今回はワンテイクでOKが出ることが多かったそうですが、歌のシーンはいかがでしたか。

毎熊 カット数があるので何回かやりましたが、指の動きが気になった部分を撮り直したぐらいで、ほぼ一発撮りに近かったです。

――キーナと歌うシーンは、どんなことを意識しましたか。

毎熊 桐島もギターを習ったばかりだし、下手でも良かったんですが、幻想的なシーンでもあるので、「いいな」と思ってもらえるシーンにしたかったんです。だから本気で取り組みましたし、歌よりも下手なのが目立つのは嫌だったので、胃をキリキリさせながらやっていました。

――キーナと桐島が出会うのはライブハウスですが、毎熊さん自身は行きますか?

毎熊 ライブハウス自体はそんなに行かないですが、近所のミュージックバーにはよく行きますね。

――毎熊さんは本作に関して、「桐島役を演じるにあたって頼りになったのは、彼がよく聴いていたというブルースとバーで知り合った⼥性の存在」というコメントを寄せられていますが、ブルースのどういう部分にヒントを得たのでしょうか。

毎熊 ブルースのルーツはアフリカ系の音楽で、奴隷として連れて来られた人たちが仕事をしながら奏でていた音楽です。
西洋の楽譜に当てはめることや、白人には表現するのが難しい中でブルースは発展していく。そこから醸し出される哀愁に惹かれて、僕は昔からブルースが好きだったんですが、その哀愁に桐島が重なったんですよね。

【前編はこちらから】死の間際になぜ本名を? 毎熊克哉が語る桐島聡容疑者「なぜもっと人に優しくできなかったのか」
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