【写真】綾瀬はるか主演『ひとりでしにたい』場面カット【5点】
◆30代の結婚観 “すべき”と“しなくても”の狭間
ここ数年で、結婚しない生き方が急速に受け入れられるようになったものの、鳴海(綾瀬はるか)と同世代の女性たちは結婚は“すべき”と“しなくても”という価値観の狭間に揺れている。未婚者が肩身の狭い思いをするシーンは減ってきたものの、アラフォー以上の未婚女性は依然としてマイノリティである。
さらに、親は結婚をライフステージの一歩という揺るぎない価値観を持つ世代だ。本作でも、この価値観は鳴海の父・和夫(國村隼)を通して描かれている。和夫は独身の姉・光子(山口紗弥加)の孤独死について「結婚もせず、子供も産まないで、一人でず~っと好き勝手してきたから、最後に罰が当たったってことか」と平然と言い放っていた。
そもそも、光子は好き勝手に生きていたわけではなく、ましてや罰を受けるようなことは何もしていない。大企業で定年まで働くのは大変なことだ。さらに、海外勤務を目指す女性のための就職雑誌を男性ばかりの会議で提案し、女性が世界で活躍できる道を切り拓こうとしたこともあった。和夫は会社員として長年働く苦労を実体験から知っているはずだが、姉の苦労を理解できていない。
独身女性に対する周囲の無理解や偏見は本人を深く傷つける。彼女たちが抱く複雑な胸の内は、第1話のラストで鳴海の台詞を通じて見事に言語化されていた。
「ひとりで生きることってそんなに悪いこと?[中略]それでもさ、私、迷惑かけてないつもりだよ。仕事だってちゃんとしてるし、貯金だってちょっとはしてるし、税金だって年金だってちゃんと払ってる。[中略]なんか、ひとりで生きるの情けなくなっちゃった」
上記は鳴海の台詞だが、光子も似たようなことを思ったことがあるはずだ。いや、鳴海と光子だけではない。多くの独身女性は社会的責任を果たしているのに、周囲から批判的な眼差しを向けられることもある。それゆえに、“結婚しない”という自らの選択に納得しつつも、この選択に自信を持てず、どこか後ろめたさを感じてしまう。
鳴海の同僚である20代の優弥(佐野勇斗)は結婚すれば安心という価値観を「昭和の発想」と一蹴しているが、彼のように自身の考えがしっかりしていればもう少し気楽に生きられるのだが...。30代、40代の女性は優弥の域にまで達するのはむずかしい傾向にある。
◆「ひとりで生きて、ひとりできちんとしにたいんだ」
独身女性に対する周囲の風当たりが強い大きな要因として、結婚する生き方を正当化する世代の多さだけでなく、甥姪など3親等以上の親族に負担がかかる可能性の高さも挙げられる。
独り身の親族に“老後は大丈夫?”と尋ねる人は多いが、この質問には相手に対する心配だけではなく、自分や我が子が世話をしなければならないのではないかという懸念が潜んでいることが多いと思う。
独身者の多くは自身の老後を問われるとうまく答えられない。とはいえ、子どもがいる人も老後の安泰が保証されているわけではなく、遠い親族が介護を担わざるを得ない可能性も孤独死の可能性もある。
また、独身者の多くが鳴海のように甥姪に迷惑をかける日が訪れるのではないかと不安を抱えているが、こうした不安は自分の行動しだいである程度は和らぐはずだ。本作では、鳴海がどのような終活をするのか楽しみである。
◆多くの独身女性の生き方を肯定
世間において推し活に熱中する結婚適齢期を過ぎた女性への視線は厳しいものがある。独身で推し活に熱中している筆者も周囲との間に温度差を時々感じる。
そうした中で、鳴海と優弥がパフェを食べながら孤独死と推し活について語る第2話におけるシーンは自分の生き方が肯定されているようでうれしかった。優弥が「孤独死する人は希望を失い、生きる意欲を既に失っている人が多い」と前置きしつつ、「でも…担当がいたらこんなことになります?」と問いかけると、鳴海は「絶対ならない!」ときっぱり答えていた。風呂に入らないで担当に会えないどころか、無駄におしゃれもするし、コンサートに行くためと思えば労働も苦じゃないし、グッズ交換のためなら他人とも交流するといった理由らしい。
筆者自身も推し活関係の支出を無駄遣いだと思うこともある。しかし、推しの存在がいるから仕事を頑張れるし、身嗜みに必要以上に気遣っている。自分では推しがいることのよさを理解しているものの、第三者に「担当という希望への投資」を肯定してもらったのははじめてであった。
すべての独身女性が推し活をする必要はもちろんないが、楽しいことや好きなことはそれぞれあるはずだ。
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