【写真】昨年11月には1st写真集も発売したSKE48井上瑠夏【6点】
8月26日、名古屋を拠点に活動しているアイドルグループ「SKE48」が熊本県でコンサートを開催する。実現するまでには紆余曲折があった。
2016年4月28日、「SKE48 47都道府県全国ツアー~機は熟した。全国へ行こう!~」が熊本県立劇場演劇ホールで開催される予定だった。しかし、その2週間前に県内でマグニチュード6.5の地震が発生。震度7の揺れが2度記録され、甚大な被害を受けた。地震のあおりを受け、コンサートは中止となった。
4年後の2020年、SKE48にとってはリベンジとなる熊本公演が発表された。3月1日、「47都道府県全国ツアー“令和元年再開”~機は熟しすぎた⁉~」が開催されることになったのだ。ところが、この年の1月から世界中に新型コロナウイルスが蔓延。コンサートどころではなくなってしまい、2度目も中止となった。
この間にアイドルになったのが井上瑠夏だ。熊本県に生を受け、中学3年次、愛知県でSKE48の8期生オーディションに合格した。現在、アイドル人生9年目だ。
「私にとって、熊本県でコンサートが開催されることは遠い遠い夢でした」
熊本でコンサートをしたい。井上は事あるごとにそう発言してきた。だが、SKE48は名古屋で活動するグループ。遠く離れた九州の地でのコンサートは現実的ではなかった。
「今年、熊本でのコンサートが開かれないなら、もう諦めようと思っていました。でも、どうしてもやりたいんです。熊本の会場のステージに立つ自分の姿を私は8年以上、妄想してきたんです」
この思いは消えかけようとしても、完全に消えることはなかった。井上は王道アイドルタイプ。その道から決して逸れようとしない。
「私がこういう性格になった熊本のお陰だと思っています。熊本の男の人って“肥後もっこす”って呼ばれています。頑固で、自分の意見を曲げないという意味です。でも、それは女性にも当てはまると思っていて。私のお母さんは完全にそのタイプです。男性と喧嘩しても負けないんじゃないかって思っちゃうような(笑)。私も好きになったことは、やり通したい。それがアイドルです」
井上は見知らぬ土地でアイドル人生をスタートさせた。地元では見たこともないような、高いビル群に囲まれた15歳は、巨大な迷路に迷い込んだ感覚に陥り、ただ泣いた。
「それでも私は熊本に凱旋するまでアイドルを続けたかったんです。
井上の人生に影響を与えた人物がいる。小学6年次の担任だ。
「私の好きな言葉は“なりたい自分にはきっとなれる”です。これは小学校の卒業式の日に、担任の先生が直筆の書をクラス全員にプレゼントしてくれたときの言葉です。私がアイドルになりたいという夢を諦めなかったのは、この言葉があったからです。15歳で私はアイドルになれて、その後、成人式で熊本に帰ったとき、その先生には会えませんでした。今度のコンサートに私は地元でお世話になった方々や友達、家族を100人以上招待するんですけど、その先生の連絡先がわからなくて……」
その先生のみならず、井上は幼い頃の自分を知っている人たちに晴れ姿を見てほしいと願っている。授業中、答えがわかっていても恥ずかしさのあまり手を挙げられなかった自分を知る人に、こんなに立派になりましたと報告したいのだ。
その書を授かったのとほとんど同時期、12歳の井上はAKB48チーム8熊本県代表メンバーを決めるオーディションを受け、最終審査まで進んでいる。
「私がAKB48グループの大ファンだったからか、お母さんが勝手に応募したんです。でも、最終審査で落選しました。私が決めたのはその瞬間です、絶対アイドルになるって」
中学に進むと、本格的に動き出した。
「東京の芸能事務所の公開オーディションが熊本のイオンモールであって、それに参加したこともあります。一人20~30秒の自己PRがあって、おでこを見せて、はい終わりっていうオーディションでした。でも、何百人もの参加者がいて、ビックリしました。中学2年生のとき、AKB48グループ第2回ドラフト会議に参加しましたけど、これも落ちました。悔しくて、何が足りないんだろうって考えました。私は部活を辞めて、いとこが通う芸能スクールに夏休みだけ通いました。そのいとこは熊本から上京していて、あるブランドのモデルをやっていたんです。私はいとこを頼ることにしました。そのスクールで覚えている教えは、『アイドルは髪の毛に天使の輪がないといけない』ということでした。妙に納得して、髪の毛のケアを入念にするようになりました」
東京の空気に触れた井上だったが、それでもなお自信を持てないままでいた。そもそも人前に出ることが好きではなかったからだ。
中学3年生になると、劇の主役に指名された。
「中学3年生のときの担任の先生です。先生は私に『主役がいないから、るかちゃんやって』と顔を近づけてきました。もうやるしかなくて、主役というものを初めてやりました。先日、その先生と熊本のテレビ番組でお会いしたんです。先生は、主役は私に決めてたとおっしゃっていました。私がアイドルを目指していることを知っていた先生は、私にそういう舞台を経験させたかったんじゃないかな」
中学3年生の2学期。進路を考える時期だ。井上もまた悩んでいた。クラスのみんなはとうに進路を決めていた。だが、井上だけは担任に「大事なオーディションがあるから、ちょっと待ってください」と頼んでいた。
「これで最後と決めていました。その前にNGT48の1期生オーディションがあったけど、悩んだ末、申し込みませんでした。そこにSKE48の8期生オーディションがあったんです」
運のいいことに、その最終審査を私は取材している。当時の取材ノートをめくる。井上の番号は42番。歌唱審査では『私がオバさんになっても』を歌った。郷里の大先輩の曲だ。井上は振りを付けて、堂々と歌った。歌い終わると、「ドラフトに落ちたことが悔しくてダンスを習いました。AKB48グループに入るのが夢です」とアピールした。入るための準備をしていた井上は、他の候補者よりも目立っていた。劇場支配人が発表した番号に「42」はあった。この日から人生が大きく変わった。
同期は19人いた。9年近く経過し、今は8人になった。同期は熊本まで勇姿を観に来てくれるという。
大きな夢を叶えようとしている井上瑠夏。次に見据える高みは何なのだろう。
「目標ならいっぱいあります。熊本の大スターになることです(笑)。そのためにはもっと頑張らないと。そして、くまモンよりも愛されるアイドルにいつかなりたいです」
その日は同級生たちが、恩師が、同期たちが客席で見守っている。舞台は整った。アイドル・井上瑠夏第1章の最終回を見逃す手はない。
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