【写真】人気ショークラブで活躍、かなでさん撮り下ろしカット【13点】
――かなでさんは、小さい頃から芸能活動をされていたそうですね。どんなお子さんだったんですか?
かなでさん 4歳からヒップホップダンスを習っていて活発な子供でした。親が習わせてくれたんですけど、ダンスやってる子って目立ちたがり屋が多いイメージじゃないですか?私もその例に漏れず、学校の出し物とかで率先して踊るような、とにかく目立ちたがり屋でした。
――ダンスはご自身でやりたいと?
かなでさん いや、気づいたら習っていた感じです。母が言うには、小さい頃から音楽を流すと踊り出す子だったらしくて。「この子はダンスがやりたいんじゃないか」って(笑)。
――芸能活動はどんなキッカケだったのでしょう。
かなでさん 小学校くらいからですね。
中学3年生の時に、地下アイドルグループに受かったんです。同時期に大手事務所のオーディションも受かってたんですけど、父が「大きい事務所で埋もれるより、小さい事務所でちゃんと見てもらえる方がいい」って。それで、その事務所で5年間アイドル活動をしていました。その頃が一番ちゃんと活動してた時期ですね。
――大手事務所を選ばなかったことに後悔はなかった?
かなでさん 結果的には良かったんじゃないかなって思います。レッスン料だけ取られてデビューできない、みたいな話も聞きますし。小さい事務所だったからこそ、ちゃんと力を入れてもらえたと思うので。
――ご家族との関係はいかがでしたか?
かなでさん 母親とは仲良いです!けど当時は……父親が不倫していないので、連絡取らないですね…。
――不倫が発覚したのはいつ頃だったのでしょう。
かなでさん 19歳くらいの時ですね。父が単身赴任していて、私と父が関東、母が静岡に住んでいたんです。で、母が荷物をまとめて、まさにこちらに来る日の夜だったんです。なのに父が「ママ、来れなくなった」って。事故でもあったのかと思ったら、すごくバツが悪そうな顔をしてたので、母に聞いたら「パパから聞きなさい」って言うんです。挙動不審な父を問い詰めたら「実は……好きな人ができた」と。会社の部下に手を出したみたいです。
――それは……言葉もないですね。
かなでさん ご飯食べながらフリーズですよ。大好きだった酢豚が嫌いになりましたし、その日のことは何も覚えてないくらい真っ白ですよね。
――お父様とはその後どうなったんですか?
かなでさん 両親は離婚しました。相手の女性とどうなったかは、よく知らないです。母も心配かけたくないのか、あまり詳しいことは話してくれなくて。慰謝料とかも、いくらもらってるのか聞いてもはぐらかされるんですよね。気になるんですけど(笑)。
でも『健全夜遊びドキュメンタリー63ANGEL!!』という番組の企画で父親に会いに行くことになって。正直、気は進まなかったんですけど、ノーとは言えないタイプなので行きましたよ。
――会えたんですか!?
かなでさん 以前住んでいた家とは違う場所だったんですけど、奇跡的にたどり着きました。
――どんな状況だったのでしょう。
かなでさん 家の前で父親と話していたら、不倫相手の女性が出てきちゃって…。
――ええっ!?それは気まずい……。
かなでさん 一緒にいたマッコイ斎藤さんが間に入ってくれて、なんとかその場は収まりましたけど。マッコイさんがいなかったら、相手の女性に掴みかかってたかもしれないです(苦笑)。
――お父さんに対しては、今どんな感情ですか?許せない気持ち?それとも……。
かなでさん うーん、もうネタにしすぎてよくわかんなくなっちゃいました(笑)。番組で3回もこの話してるんですよ。『家、ついて行ってイイですか?』(テレ東系)で電話したり、自社の番組で会いに行ったり。だから、もう関わりたくはないけど、特に何とも思ってないというか。「どうぞご自由に」って感じです。
▽かなで
静岡県出身、2001年3月7日生まれ。4歳でダンスを始め、地下アイドルやグラビアを経て、現在はROKUSAN ANGELでショーダンサーとして活躍。一晩で350万円を売り上げた実績を誇り、反骨心と戦略で支持を集める“逆襲型エンターテイナー”。父の不倫など波乱の過去も笑いに変え、努力と結果を数字で示しながら、逆境すら味方に変えてゆく。
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