暦の上ではすでに秋は始まっているというのに、暑さが和らぐ気配はない。今年は群馬・伊勢崎で41.8℃の観測史上最高気温を記録し、夏の甲子園では暑さ対策として異例の夕方開会式が実施された。
今や“夏”は屋外に出るのもためらうほど危険な季節となり、令和を生きる人々は熱中症との戦いを余儀なくされている。

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もっとも夏がこれほど過酷なものになったのは近年のことで、かつては今よりも過ごしやすい気温だった。そのことは各時代のヒットソングの“歌詞”にも、如実に表れている。

例えば1998年6月にリリースされた、ゆずの『夏色』には「風鈴の音でウトウトしながら 夢見ごこちでヨダレをたらしてる いつもと同じ網戸越しの風の匂い」という歌詞がある。網戸から入ってくる風が風鈴を揺らし、その音を聴きながら昼寝をしてしまう……。そんな夏の情景を呼び起こす風情ある一節だが、よく考えてみてほしい。

網戸を開け放っているということは、すなわちエアコンを使っていないということだ。果たして現代の夏において、冷房なしで昼寝が可能だろうか。令和の酷暑にそんなことをすれば、熱中症は避けられないだろう。

ところが同楽曲が発売された当時の東京は、今ほど過酷な暑さではなかった。気象庁のデータによれば、1998年の最高気温は7月が36.1℃で、8月が35.5℃。しかも7月の半分以上が30℃に届かず、本来1番暑くなりやすいお昼過ぎに25.6℃を記録した日もある。


ちなみに2025年7月に最高気温が30℃を下回った日は、たった4日しかない。確かに一昔前であれば、網戸からの風だけでも心地良く昼寝ができそうだ。

そして翌年の1999年8月には、センチメンタル・バスの『Sunny Day Sunday』がリリースされた。『夏色』と同じく、現在でも夏の定番曲として知られている楽曲だが、令和を生きる人々にとって、歌い出しの「39℃のとろけそうな日」という歌詞は、特に違和感のないものとして受け止められているのではないだろうか。

実のところ1999年の東京では、「39℃」という気温はほぼあり得ない気温だった。事実、その年に39℃を記録した日は一度もない。それどころか気象庁のデータによれば、7月から9月の最高気温は35℃にも達していないのだ。

つまり「39℃のとろけそうな日」というのは一種の誇張表現で、真夏の野球を一緒に観戦する恋人への強い想いを込めた比喩的表現。ところがこの曲がリリースされてから四半世紀が過ぎた今、かつて曲中だけの存在であった「39℃のとろけそうな日」が現実として訪れる。夏の記憶は、こんなにも変わってしまった。

ところで過去には、“冷夏”と呼ばれるような夏が存在したことをご存じだろうか。例えば2004年にリリースされたフジファブリックの『赤黄色の金木犀』には、「冷夏が続いたせいか 今年は なんだか時が進むのが早い」という歌詞が登場する。


実はこの楽曲が発売される前の2003年は、1993年以来10年ぶりの冷夏となり、各地に様々な被害をもたらした。では一体どれほど涼しかったのかというと、2003年7月の最高気温(東京)は31.9℃、8月でも34.3℃に留まっていたほど。今や北海道ですら7月に39℃を観測することを考えると、当時がいかに過ごしやすい夏であったかが理解できる。

しかも7月の大半は30℃を超えず、30℃を超える暑さが続いたのも9月の中頃まで。さらに言えば前の年の2002年は、9月の第1週目ですでに暑さが和らぎ、夏が今よりずっと短かった印象が強い。だからこそ当時の人々にとって夏は特別な季節であり、胸を躍らせる存在であった。

浜崎あゆみが『Greatful days』で歌った「短い夏が始まっていく 君といくつの思い出作ろう」というフレーズは、まさにそんな儚くも輝いた夏の情景を映し出している。

ちなみに今年は、10月までこの暑さが続くとも予想されており、まだまだ夏は終わりそうにない。これほど厳しい夏が毎年訪れる現代では、もはや「冷夏」は幻の存在。かつて網戸越しの風を感じ、短い夏のひとときを胸躍らせて楽しんだ日々は、今となっては特別な夏だったのだろう。

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