【写真】芸能デビュー15周年を迎えた桑田彩の撮り下ろしカット【11点】
――芸能界デビュー15周年、そして初の写真集発売おめでとうございます。桑田さんの経歴を拝見すると、小学生の頃はプロゴルファーを目指していたとか。かなり裕福なご家庭だったそうですね。
桑田 もともと父がウェディングドレスのクリーニング会社を経営していたので、社長令嬢だったんです。そんなに大きな会社ではなかったんですけど、いろいろな所を旅行したり、普通よりは少しいい生活をさせてもらっていたと思います。
――プロゴルファーを目指したきっかけは何だったんですか?
桑田 両親がゴルフをやっていたんです。それに付いて行って、遊びで「やってみる?」と言われて打ってみたら、ボールがすごく飛んで。それから楽しくなっちゃって、本格的に始めたのがきっかけです。小学4年生ぐらいでしたが、父に教わりながら、ラウンドを回ったりしていました。
――その後、プロを目指すのを諦めたのは、ご家庭の事情が大きく変わったからだと伺いました。
桑田 簡単に言うと、父の会社が倒産してしまって……。父の兄が茨城で同じような事業をしていたので、そこと合併する形で、全てを捨てて茨城へ引っ越すことになったんです。それが中学1年生の半ばぐらいでした。
――生活が一変したわけですね。
桑田 引っ越してすぐはまだ普通の生活ができていたんです。でも、その後、父が病気で倒れてしまって、うまく働けなくなってから、母の稼ぎだけで生活するようになって。そこからが、本当に大変でした。
――当時のお住まいは?
桑田 6畳一間でした。そのスペースに母と兄妹3人の合計4人で住んでいたので、もちろんプライベートはなく、寝るときは布団を部屋中に敷き詰めて川の字で寝ていました。今思えばすごい生活をしていたなと思いますが、嫌でも一緒にいないといけないので、家族がすごく仲良かったです。反抗期もなかったですしね。
――当時の印象に残っているエピソードはありますか?
桑田 よく電気が止まっていたことですね。友だちが家に遊びに来ているときに突然、電気がプツンって止まっちゃったりして。「やばい!」ってなるんですけど、そこで落ち込むんじゃなくて、新しい遊びを編み出したんです。
――どんな遊びですか?
桑田 古い家だったので、雨戸を閉めると真っ暗になるんです。その真っ暗闇の中でかくれんぼをするんです。鬼は一旦部屋の外に出てもらって、みんなが隠れたら息を潜めて「いいよー」って呼んで。なぜかそのゲームに「百獣の王」って名前をつけて、鬼を決めるジャンケンも「百獣の王!」ってテンポよく言いながらやっていました。
――いいご友人です。
桑田 そのときの友だちとは今でも仲が良くて、大事な親友です。結婚式にも呼んでくれました。貧乏だったからお小遣いがほとんどなく、友だちとプリクラを撮るのも身を切る思いでしたけど(笑)、そういう経験も今となっては笑い話ですね。
――苦しい生活の中で、13歳で芸能界の門を叩きます。
桑田 そうなんです。中学生でバイトができなかったので、少しでも家の足しになればと思って。自宅にあった携帯で調べて、いろいろな事務所のオーディションに応募しました。
――すごい行動力ですね。オーディションは緊張しなかったんですか?
桑田 結構肝が据わっていたのか、全然しませんでした。今考えると、なんでそんなに動じなかったんだろうって不思議です(笑)。最終的には、オーディションに受かった事務所に所属させていただいたのですが、茨城から東京までの交通費を事務所が負担してくれたので、何とか続けることができましたね。
――芸能活動と学業との両立は大変だったのでは?
桑田 実は、あまり学校に行けてなかったんです。最初の事務所がプロモーションで都内にいろいろ連れて行ってくれたというのもあるんですけど、私自身学校があまり好きじゃなくて。
――好きじゃなかった?
桑田 はい、結構いじめられていたので……。小学生の頃から「声がうざい」とか言われていて、中学生になってからはもっとひどくなりました。
▽桑田彩
1997年1月15日生まれ、群馬県出身。13歳で芸能界入りし、「極貧アイドル」として注目を集める。2013年にイメージDVD『ピュア・スマイル』でグラビアデビューを果たし、以降、バラエティ番組や雑誌グラビアを中心に活動。2024年からはアイドルグループ「Lillips」のメンバーとしても活動を開始。2025年7月24日には、自身初となる写真集『お初だよ。』を発売した。
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