元戦隊ヒーロー俳優中心の3人組ムード歌謡コーラスグループ「純烈」。現在、2024年11月25日に開催した初の武道館公演『純烈魂』までの道のりを、さまざまな過去を抱えたファンと共に描き出す異色の映画『純烈ドキュメンタリー 死ぬまで推すのか』が公開中だ。
本作では売れない時代やメンバーの脱退加入など、数々の苦難を乗り越えて華やかな大舞台に辿り着いたメンバーたちの姿を描いている。映画では詳細に描かれなかった、純烈のリードボーカル白川裕二郎が純烈に加入する前後のストーリーに迫る!(前後編の前編)

【写真】純烈ドキュメンタリー映画場面カット&白川裕二郎の撮り下ろしカット【10点】

――白川さんは2007年にリーダー酒井一圭さんに誘われて、純烈のメンバーになりますが、当時は俳優業をどのように考えていたのでしょうか。

白川 当時はすごく悩んでいました。というのも2002年に戦隊ヒーローシリーズ『忍風戦隊ハリケンジャー』に出演後、舞台やテレビ、映画など様々な仕事をやらせてもらっていたのですが、年を追うごとに仕事が少なくなっていくのを実感していました。舞台の仕事は続けていたものの、メディアでの露出が減ってきて、「このまま舞台俳優として食っていけるのか?」という不安や、収入面での心配が大きくなっていた時期でした。

――酒井さんは「ハリケンジャー」の前年に放映された『百獣戦隊ガオレンジャー』に出演していた戦隊ヒーローシリーズの先輩です。

白川 年齢的にも1歳上で、いろんな発想力があって面白い人だなと思っていました。そんな先輩から「ムード歌謡をやらないか」「紅白に出て親孝行しよう」と声をかけられて、またワクワクするようなことが起こるんじゃないか、この人に賭けてみようと思ったのが始まりです。

――また俳優業に戻ろうという気持ちもあったのでしょうか。

白川 そこまで考えていなかったですね。ただ、それぞれ違う事務所に所属していたんですが、純烈に入る条件は「今の事務所を辞めて、みんな同じ事務所で頑張ろう」というものでした。前の事務所の社長には正直に事情を話しました。
当時、あまり仕事がなかったのにも関わらず、給料を出してもらっている状況で、社長にはかわいがってもらっていたんです。どうしても自分のやりたいことを伝えて、社長も「そういうことなら分かった」と握手をして円満に別れました。

――前事務所の社長は白川さんが歌手になることについて、どのような反応だったのですか。

白川 社長は僕が、歌うことが好きなのを知っていたんです。過去にレコード会社の方を紹介してもらったこともありましたし、プロから見たら全然歌えないレベルでしたが、カラオケで上手く歌える程度の歌唱力はあるということで、音楽の道に進むことに関してはそれほど驚かれませんでした。

――信頼の置ける先輩の誘いとはいえ、歌手の道に進むことの不安はありますよね。

白川 めちゃくちゃありました。母親が一番心配して、「辞めたほうがいいんじゃない? 役者のほうがいいんじゃない?」と言われました。友達や業界の人たちからも「絶対無理」と言われましたからね。でも、その「絶対無理」という言葉が逆に僕を奮い立たせたんです。売れる確率は低いかもしれないけれど、売れないということはない。絶対に覆してやろうと思いました。


――収入面はどうだったのでしょうか。

白川 僕が純烈に入るにあたって、とある業界の方とリーダーの二人が、僕と小田井涼平さんには給料を出すと言ってくれました。小田井さんはグループ最年長、僕がリードボーカルということで微々たる手当てを出してくれたのですが、ありがたかったですね。正直、役者時代の給料の3分の1くらいの額だったんですが、それでも挑戦したいという気持ちのほうが強かったです。結局、貯めていた貯金を食い潰しましたし、バイトもしました。2010年に「涙の銀座線」でデビューしてからも、それほど状況は変わらなかったのですが、2015年頃に「みんな同じスタートラインに立とう」ということで、一律で月15万円の給料をもらえることになって再スタートを切りました。

――なかなか状況が好転せずにモチベーションが落ちる時期もあったのでは?

白川 辞めそうになったこともありました。よく小田井さんに相談していたのですが、「これからどうしたらいいですかね?」と聞くたびに、「白川君、もうちょっと頑張ろうよ。ここまで来たんだから、みんなに知ってもらえるようにならないと。せっかく応援してくれている人もいるのに示しがつかないよ」と励ましてくれました。ただ後から聞いたら、小田井さんも辞めたかったそうです。僕を励ますことによって、自分も辞められない状況を作っていたんですよね。


――辞めずに続けられた大きな理由は何でしょうか?

白川 みんなが同じベクトルに向かっていたからだと思います。ずっと「夢は紅白! 親孝行」をスローガンに掲げてやってきて、僕は両親が年を取ってからの子どもなので、いつか絶対に親孝行をしたいという気持ちが小さい頃からありました。紅白に出たら両親も喜ぶし、親戚も喜んでくれる。そういったモチベーションで全員が頑張っていました。

また健康センターでやるようになって、最初はお客さんも3人くらいしかいませんでした。それが、どんどん数が増えていって、たくさんのファンが僕たちの背中を押してくれました。中には純烈の紅白出場を見ることなく亡くなってしまった方もいらっしゃいます。そういった方の友達や家族が「ずっと応援しているから、この人のためにも紅白に出て」と言ってくれて、いろんな人たちが支えてくれました。

▽『純烈ドキュメンタリー 死ぬまで推すのか』
2025年9月5日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか、1週間限定上映!

「純烈」酒井一圭 白川裕二郎 後上翔太
岩永洋昭 林田達也 小田井涼平 スーパー・ササダンゴ・マシン 小池竹見

ナレーション:今林久弥 プロデューサー:高根順次 監督:岩淵弘樹
配給:NAKACHIKA PICTURES 企画:三角フィルムズ

公式サイト:https://junretsu-film2025.com/
公式Instagram:https://www.instagram.com/junretsufilm2025/
公式X:https://x.com/junretsu2025

【後編】「絶対無理」と言われた純烈のターニングポイント「翌日から電話が鳴りっぱなしに」白川裕二郎
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