ABEMAオリジナルのバラエティ番組『ダマってられない女たち season2』#7が、10月17日(金)22時より放送された。番組では、大人気スイーツ「マダムブリュレ」の生みの親・マダム信子の“終活”に密着。
19歳年下夫との波乱万丈人生を赤裸々に語った。

【写真】マダム信子、19歳年下夫との波乱万丈人生を赤裸々告白【4点】

マダムブリュレの大ヒットと共に、全身ヒョウ柄&明るいキャラクターで注目を浴びたマダム信子。73歳になった現在は、神戸のマンションで夫と二人暮らしをしているという。家賃100万円のマンションの玄関には、銅像やシャンデリアなどの装飾品がズラリ。トレードマークのヒョウ柄が部屋のいたるところに散りばめられている。

そんな“マダム信子全開”の部屋で、信子さんと共に暮らしているのは、19歳年下の夫・幸治さん。年齢差がある二人は、いったいどこで出会い、どのように結婚に至ったのだろうか。

1951年、韓国人の両親の元、島根県で生まれた信子さん。その後大阪に引っ越し、18歳でお見合い結婚するも、2年で離婚。実家に帰ることもできず、夜の世界へと飛び込んだ。持ち前のコミュニケーション能力を活かし、大阪・北新地のクラブでナンバーワンになったという。

その後、単身で上京し銀座でクラブを経営。
年間売上3億円の人気店へと成長した。そして信子さんが43歳のとき、お店にアルバイトの面接に訪れたのが、当時23歳の幸治さんだった。

信子さんのカバン持ちとして働き始めた幸治さん。その誠実な仕事ぶりに、信子さんは「絶対間違いないと思った」と語る。やがて、幸治さんが信子さんの家に転がり込む形で交際がスタート。後に大阪へ戻ると、二人で焼肉店を経営することになった。

店は順調だったが、2号店をオープンした直後、2001年の狂牛病騒動で経営が悪化。1億円の借金を抱えてしまう。信子さんは当時を振り返り、「人生終わりやと思った」とうっすら涙を浮かべた。

さらに、まだ30代前半だった幸治さんの将来を思い、「うちみたいなアホなおばちゃんと、なんで一緒にいるのか」「(他の人と)結婚して子ども産んでくれたら」と、何度も別れを考えたという。

一方、幸治さんも「正直、40代後半から子孫を残したい思いはあった」と打ち明けながらも、「信子ママが元気で、生き生きとしてくれるのが大前提」「あの人の最後を見届けたい」と吐露。何があっても、信子さんと共に生きる道を選んだのだ。


そして、二人はなけなしの資金を元手に喫茶店をオープン。信子さんの母が作ってくれていたというパンケーキをもとに生まれたのが、“マダムブリュレ”だった。その売り上げは1週間で2億円を記録。店名を「マダム信子」に改め再スタートを切ると、開業5年で年商50億円に到達するほどの大人気店となったのだ。

現在、信子さんは“終活”として、高級住宅地・芦屋に建設費5億円以上をかけて新居を建設中だという。その理由は、ただ一つ“幸治さんのため”。「若いのに(私に)ついてきてくれたから、これも神様からのご褒美」と、夫が一生暮らせる家を残そうと考えているのだ。

波乱万丈な人生を送りながらも、決して互いの手を離さなかった信子さんと幸治さん。愛にあふれた二人の絆に、スタジオでも「かっこいい」「技量がすごい」と感嘆の声が上がった。

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