1980年代後半、日本人兵士の多くは自衛隊出身だった。だが、射撃訓練を積んでいても戦地では通用しない──。
アフガニスタンやミャンマーの最前線を歩兵として生き抜いた元傭兵・高部正樹氏が語るのは、狙撃の技術以上に生死を分ける「運」と「経験」のリアル。地雷、迫撃砲、不発弾……戦場で生き残るために必要だったものとは何だったのか。

【画像】『日本人傭兵の危険でおかしい戦場暮らし』第1話・第2話を読む【17点】

私が傭兵になった1980年代後半、戦地に行く日本人兵士の大半が自衛隊出身でした。やはり何の経験もないと戦地では全く通用しません。戦地に行ったものの、「通用しないから、やめたほうがいい」と日本に帰される人もいました。信じられないかもしれませんが、何の経験もなしで戦地を目指す人もいたんです。

いくら自衛隊で訓練を積んでいても戦地で通用するとは限りません。特に繊細な射撃技術が求められる狙撃手はセンスも必要ですし、メンタルや身体能力だけではなく、咄嗟に緻密な計算をすることが求められます。わずかなズレで標的に当たらないからです。私は大雑把な性格なので、細かいことを求められると「面倒くさいな」と思ってしまいます。今は戦地でもタブレットで計算する時代になりましたが、それでも計算能力は問われます。

戦地では、運の強さも生死を分ける重要な要素です。
地雷に気づかずに踏んで、片足を失うことは珍しくありません。特にアフガニスタンは、至る所に地雷があって、爆発して片足を失うと、前線ではきちんとした治療が難しく、運が悪ければそのまま死亡してしまいます。

見えない地雷を避けるには、運も重要ですが、何より経験がものを言います。周りの状況から、「ここに仕掛けそうだな」と察知できることがあるんです。しかし、雨による土砂崩れや雨季の川の増水で流された地雷の行方は本当に分かりません。そのような時は運任せです。私は験担ぎとして、そういう時は必ず左足から踏み出していました。

他人から見ても、「この人は運がいいな」と感じるタイプがいるのですが、私も運は良いほうだと思います。2~3メートル横に迫撃砲が落ちてきたことがあって、爆発していたら完全に死んでいたのに不発だったことがあります。味方と二人で応戦していた時に、目の前で、もう一人が死んだこともありました。

私は戦場に限らず、運が良くて、雑誌の懸賞もよく当たるんです。母親が懸賞を出す時に「あんたの名前で出していい?」と言ってくるくらいですからね。
運ばかりは、生まれ持った才能でしょう。

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