STU48に所属する石田千穂がグループを卒業する。2017年、アイドル衣装に袖を通した彼女は、約9年間の活動に終止符を打とうとしている。
シングルのセンターを務めた経験もある、瀬戸内きっての人気メンバーはこれまで何を考えて活動してきたのか。そして、これからどこへ向かうのか。

【写真】5月31日にSTU48を卒業することが決まった石田千穂【7点】

――卒業発表の瞬間は緊張しましたか?

石田 それがまったく緊張しなくて。映像で確認したら、ビックリするくらい淡々と話していました。

――卒業コンサートの開催も決まりました。

石田 5月31日に卒業コンサートをKanadevia Hall(東京=旧TDCホール)でさせていただくんですけど、そこは初めてソロコンサートをさせていただいたり、瀬戸内PR部隊というユニットで立たせていただいたり、STU48の大きなコンサートを開催させていただいたりして、たくさん思い出が詰まっていてスタッフさんに「Kanadevia Hallで卒業コンサートをやりたいです」とお願いしていました。

――なぜ卒業に心が傾いていったんですか?

石田 2年前の7周年コンサートの頃、同期である1期生が立て続けに卒業していって。みんなの背中を見送りながら、自分の未来について考えるようになりました。

――誰かに相談しましたか?

石田 家族にはスタッフさんと卒業について話す度に報告していました。家族は引き止めることはせず、私のやりたいことを第一に考えてくれて、「全然OK」みたいな(笑)。ビックリするくらい軽かったです。私がアイドルになる前、ダンススクールに通っていた時期から夢を応援してくれる家族で、てっきり引き止められるかと思ったら、あっさり認めてくれました。

メンバーだと中村舞ちゃんにはずっと話していました。舞ちゃんは何でも話せる相手で、悩んでいる頃から「そろそろ卒業しよっかな」と話していました。卒業が決まってからは、「やっぱり卒業しないでください」って定期的に連絡が来ます。

――同期には事前に伝えましたか?

石田 誰にも言わないつもりでした。谷口茉妃菜ちゃんとは汁なし担々麵を食べに行く仲なんですけど、麺をすすりながら「卒業するでしょ」って何度も聞かれてて。いつ発表するとは言わなかったけど、「するんだよねー」って軽く伝えました。

――自分が卒業した後のグループにどんな影響があるか、考えましたか?

石田 ありがたいことに、私は長らくシングルの1列目付近に立たせていただいてきました。でも、私がいなくなることで、STU48が新しい雰囲気になると思うんです。そんなSTU48に出会いたいと思っています。いろんな後輩に選抜を経験してほしいです。世代交代ですね。

――ファンの人はどんな気持ちなんでしょうね。


石田 きっと「そろそろだろうな」と感じていたと思います。発表後は「卒業した後も会えそう?」と聞かれることが多くて、頼もしいなと思いました。お会いできる場所はたくさん作る予定です。ただ、アイドルを辞めたらファンだった方はさよならしてしまうことがよくあるので(笑)。期待しつつ、期待しすぎずにいようと思います。

――ということは、芸能活動を続けると?

石田 はい。東京で続けます!

――卒業生と会うことはありますか?

石田 あります。定期的に遊ぶのは薮下楓ちゃん、田中皓子ちゃん、土路生優里ちゃんです。それぞれが自分の道を歩いていて、カッコいいです。そんな姿を見ていて、私も卒業が頭をよぎるようになりました。

――卒業後、一人になることに怖さを感じませんか?

石田 今はグループの活動でスケジュールが埋まっているけど、卒業後はどうなるんだろうなって想像します。でも、ノリで生きているので、まったく怖くないです。


――東京での暮らしを想像することは?

石田 実は、1年前から東京にも部屋を借りています。広島の実家との往復をしていて、家族とも会えるので、寂しさは感じていません。ちなみに、東京で自炊をしたことは一度もないです(笑)。

――卒業記念にソロ曲をもらいましたね。

石田 本当に念願でした。デビュー数年後から掲げていた目標だったけど、まったく叶う気配がなくて。聴いてみたら、自分のアイドル人生が頭の中を駆け巡るような歌詞だと思いました。数年前、活動に悩んでいた時期があって、そのときの自分の背中を押してくれるような歌詞でした。タイトルは『未来へ続く者よ』。自分だけではなく、未来ある後輩たちにも刺さる曲です。

――数年前に悩んでいたのはどうしてですか?

石田 理由がありすぎて説明が難しいんですけど、「傷ついて、血を流すほどの状態だけど、前を向こう」という内容の歌詞がまさに私のことで。強くなって今があるので、自分に刺さりました。


――卒業発表をする際、緊張しなかったのも強くなったからですかね。

石田 そうです。ピークに悩んでいたのは6枚目シングルの『独り言で語るくらいなら』のときで、数か月、休業してしまいました。その時期を乗り越えて、性格が変わりました。いい意味で何も考えず、ノリで生きるようになりました。悩んでいても仕方がないんです。休んだことで迷惑をかけてしまったけど、人生に必要な期間でした。

――そして、3冊目の写真集の発売も決まりました。在籍中に3冊も出版できるようなアイドルになれると想像していましたか?

石田 いや、まったくです。違う人のアイドル人生を歩んでいるみたいです。9年前の自分に伝えたら、絶対信じないと思います。
私は、STU48が初めていただいた曲の選抜に入れませんでした。
16人でまわるツアーでは3列目の端っこでした。

他のメンバーがテレビやライブに出ているとき、私はリアルタイムで配信をしました。そして、ファンの方と悔しさを共有しました。それでファンの方が応援しようという気持ちになってくれたんです。

その結果、デビュー翌年の選抜総選挙では99位にギリギリでランクインできました。STU48からランクインしたのは2人だけでした。それによってアイドル人生がガラッと変わりました。

AKB48さんとお仕事でご一緒する機会が増えて、憧れだったAKB48さんの衣装を着られるようになりました。「あの頃、見ていた衣装だ!」と思って、本当に嬉しかったです。

――卒業していく今、後輩たちに伝えたいことは?

石田 私が悩んでいた時期はまだ経験が浅くて、壁に当たっても答えを見つけることができませんでした。それでふさぎ込んでいたけど、後輩にもそんな時期が来ると思います。考えすぎず、のんびりやってねと言いたいです。


――卒業後、こうなりたいという希望は?

石田 何でもやってみたいです。お芝居もグラビアも。おしゃれな雑誌の撮影はワクワクしたから、またやってみたいですね。

――プライベートで楽しみなことは?

石田 東京のおしゃれな場所に友達と行くのが楽しみです(笑)。

――最後に、アイドル人生9年はどんな時間でしたか?

石田 一生分の喜怒哀楽が詰まった9年間でした。それくらいのことを経験できて、大人になれました。アイドルじゃなかったら、もっとガキんちょの24歳だったと思います。あのとき、一か八かで応募してよかったです。

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