昨日、9月4日にシンガポールで行われた第73期王座戦五番勝負第1局は、藤井聡太王座が勝利しました。敗れた伊藤叡王ですが、第2局以降の巻き返しに注目が集まります。


2025年9月3日に発売された『将棋世界2025年10月号』(発行=日本将棋連盟、販売=マイナビ出版)では、叡王を防衛し、王座戦五番勝負に挑む伊藤匠叡王にインタビューした「伊藤匠叡王、現在地を語る」など、必見の内容を掲載しています。本稿では、この記事より、一部を抜粋して、お送りいたします。
○シンガポールへ飛び立つ前に聞いてみた

2025年になってから、順位戦ではB級1組への昇級を決め、斎藤慎太郎八段との第10期叡王戦五番勝負や羽生善治九段との第73期王座戦挑戦者決定戦を制した伊藤匠叡王。充実した棋士人生を過ごしている伊藤叡王に、重要対局を振り返っていただきつつ、現在の境地を伺いました。9月4日から始まる王座戦五番勝負に向けての意気込みも語っていただいています。
取材日:2025年8月1日

(以下抜粋)

──昨年6月20日、伊藤さんは叡王戦五番勝負第5局で藤井聡太竜王・名人を破って初タイトルを獲得。1年たって迎えた防衛戦では6月14日の最終局を制し、挑戦者の斎藤慎太郎八段をフルセットの末に退けました。さらに7月3日には、第73期王座戦挑戦者決定戦で羽生善治九段に勝ち、9月4日に開幕する五番勝負への出場を決めています。気力充実の伊藤叡王に、この半年間の主だった重要局や印象局を振り返りながら現在の境地を示していただこうというのが本企画の趣旨です。率直な肉声を聞かせてください。

伊藤 このところ記憶力が悪く、過去の将棋をちゃんと思い出せるか自信がないのですが(笑)、よろしくお願いします。

──では、激闘を繰り広げた叡王戦五番勝負から順にお聞きします。
挑戦者は関西の雄・斎藤八段。真面目で誠実な人柄が伊藤叡王と共通で、さしずめ優等生対決と呼んでいいような清新な雰囲気の顔合わせでした。隙がなく、ケレン味もなく、同タイプに映ります。伊藤叡王から見た斎藤八段の印象はいかがでしょうか。

伊藤 斎藤八段とは2年前、銀河戦の本戦トーナメントで1度当たったことがあるだけでした。今回は持ち時間4時間でしたが、時間の使い方が似ているのを感じました。減り方にあまり偏りがなく一手一手、呼吸が合っていたように思います。棋風については、指し手が丁寧な印象を受けました。よほどの成算がない限りは激しく踏み込まず、慎重な指し回しに徹しているのを感じました。私のほうが受け将棋と見る向きもあるようですが、実際のところはよくわかりません。全般的に中盤からじわじわリードを広げられた感覚があり、苦しい内容のシリーズでした。斎藤八段は詰将棋愛に支えられた終盤力に定評があるので、少し苦しくても最後にひっくり返すような戦い方もイメージしていたのですが、精度の高い中盤戦の強さがいちばん印象に残りました。


──全5局中4局が相掛かりでした。

伊藤 斎藤八段が先手番で何をやってくるのか予想できなかったのですが、▲2六歩△8四歩から相掛かりを目指されると、こちらは受けて立つしかありません。自分が先手番のときに角換わりではなく相掛かりを志向したのは、実際には現れなかったんですけれど、ちょっとやってみたい形があったからです。この戦型自体は奨励会時代から慣れ親しんでおり、現在の採用率も角換わりと半々でしょうか。角換わりと比べると相掛かりは序盤から手が広いです。もちろん終盤まで調べられている形もあるのですが、全ての変化を網羅していなくても指すことができ、すぐに差がつくことがないのが特徴です。相掛かりメインのシリーズになったのはたまたま生じた流れですね。

(中略)

──続いては、4連勝で駆け抜けた王座戦本戦を振り返っていただきましょう。

伊藤 これまでの3回は全て1次予選からの参加だったんですが、一度も2次予選に進めませんでした。にもかかわらず今期は光栄にもいきなりシードで本戦に出場でき、不思議な感じがしました。

──1回戦の相手は独創的な将棋で鳴る山崎隆之九段でした。序盤早々、定跡形を外れてオフロードの戦いになるのはどうですか? 研究勝負を離脱して、荒々しい展開に持ち込まれるのを嫌う人もいるでしょうけれど。


伊藤 相手が独走派であったり、力ずくでくる棋風であったりしても、私はそれほど嫌なイメージはありません。とっさの判断力が問われても、大きく外さなければ何とかなると信じてやっています。

(中略)

──さてさて、ついにトーナメントの決勝まで勝ち上がりました。もう一方の山を勝ち抜いたのは羽生善治九段。実にこの棋戦24期の獲得を誇るスーパーレジェンドで、名誉王座有資格者です。伊藤叡王にとってもこれ以上望めない、心震える舞台設定だったのではないでしょうか。

伊藤 最高の舞台で大一番を指せる喜びをかみ締め、気持ちが引き締まりました。

(中略)

──伊藤叡王が昨年6月20日にタイトルを獲得したあとの前年度の成績は、13勝10敗でした。それまで7割以上の高勝率を保っていたイメージからは、失礼ながらやや眠れる獅子的状況に陥っていたようにも映るのですが、いかがでしょうか。

伊藤 純粋に当たる相手が厳しくなってきたので、勝率の低下は突出した実力が自分にないことの証明なのではないでしょうか(笑)。棋士になったばかりの勝利への貪欲な気持ちが、やや落ち着いたというところはひょっとしたらあるのかもしれません。勝率の悪さはともかく、内容的によろしくない将棋が多かったのは憂うべき現実ですね。


(中略)

──これから五番勝負を戦う藤井王座については、何か思うことはありますか。

伊藤 いまはじっくりした将棋を好む傾向にあり、安定感が増している印象ですね。王座戦は、こちらはある程度の準備はしたうえで中盤まで互角を保ち、終盤で競り合いをモノにするのが理想です。どのくらいの将棋が指せるのか、勝負としては厳しいでしょうけど楽しみです。

──第1局はシンガポールで開催ですね。

伊藤 海外への渡航は、ベラルーシの首都ミンスクに行って以来になります。2013年、10歳のときでしたが、私は91人が参加した世界選手権で優勝した実績があるんです(笑)。シンガポールではせっかくですので、食べ慣れた日本食ではなく、現地の名物を味わいたいですね。

──伊藤叡王は最近、変則詰将棋(推理将棋、バカ詰など)にハマっているとか。

伊藤 ええ。毎月「詰パラ」(詰将棋パラダイス)で解くのを楽しみにしています。この間、詰将棋作家の方々が集う会合に参加した際、本誌編集部の會場さんをはじめいろんな方に多種多様なルールの変則詰を順繰りに出題され、頭がおかしくなりました(笑)。


──さあ、王座戦五番勝負の開幕は9月4日です。研究熱心な伊藤叡王のことですから、ありとあらゆる角度から万全の準備を尽くす心積もりかと思います。でも、いくらシンガポールが日本よりもベトナムに近いからと言っても、渡航前の「安南詰」(変則詰将棋の一種)のやりすぎにはご注意を!

伊藤 肝に銘じたいと思います(笑)。

(伊藤匠叡王 現在地を語る 語り&自戦解説/伊藤匠叡王 聞き手&構成/今井和樹)
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