日本でも指折りのラグジュアリーホテルとして知られるパレスホテル東京。ホテル業界が震撼したコロナ禍からその舵取りを行っているのが、パレスホテル 代表取締役社長の吉原大介氏だ。
同氏が社長に就任した経緯、そしてホテルにかける思いを伺った。
○トランプ大統領も宿泊したパレスホテル東京

第二次世界大戦後、GHQの命によって設置されたホテルテートを前身とし、当時としては初のオフィスビルを併設したホテルとして1961年からその歴史をスタートさせたパレスホテル。2012年には旧ホテル・オフィスを建て替え、ビジネス層のみならず富裕層・女性客も積極的に受け入れるパレスホテル東京として再出発している。

ラグジュアリーホテルとして知られており、その評価は国内外問わず高い。「フォーブス・トラベルガイド 2016」の格付けにおいては、日系ホテル初となる5つ星を獲得し、今年含め10年連続で5つ星を獲得している。2019年には米国のトランプ大統領が来日した際にも宿泊先として選ばれている。

7月8日に発表された「Travel+Leisure」でも東京のベストホテル第1位、かつ日本のホテルの中で唯一となる「世界のTop100ホテル」にランクインしており、国内有数のブランド力を持つホテルと言えるだろう。

そんなパレスホテル東京の経営、運営を行う株式会社パレスホテルの代表取締役社長が、吉原大介氏だ。吉原氏が社長を務めることになった経緯と、パレスホテルが目指すこれからのホテルのあり方を伺ってみよう。

○スポーツ報道からホテルマンへの転身

1978年生まれの吉原氏。大学卒業後最初に選んだ仕事はメディアだった。高校、大学での野球部の経験から「スポーツの魅力を世の中に伝えたい、スポーツドキュメンタリーを作りたい」と考えており、メディアの現場で第一線として働いていたという。


「最初の2年間は地方で警察や市政の取材を担当し、その後、念願のスポーツ報道に携わりました。最後の2年間はメジャーリーグを取材することができ、イチローさんや松井秀喜さんの活躍を間近で見て、伝えられる、素晴らしい経験をさせてもらったなと思います」(吉原氏)

その後、パレスホテル東京の開業に携わってみないかと誘われ、開業前の2011年にパレスホテルに入社した。

「入社してから約2年間はマーケティングを担当し、雑誌の取材やPRを中心に携わりました。ホテルの現場経験がまったくなかったものですから、ADR(平均客室単価)やOTA(オンライン旅行代理店/オンライン予約サービス)などの業界用語も最初はわかりませんでした」(吉原氏)、と笑顔を浮かべる。

ホテルの現場業務をより深く学ぶため、吉原氏は2013年からニューヨークのラグジュアリーホテルでフロントデスクやコンシェルジュとして勤務。1年2カ月ほど経験を積んだ後、コーネル大学の大学院でホテル経営を学び、パレスホテルに戻ってきた。そしてパレスホテル東京の副総支配人として現場の指揮に携わり、その後に経営企画も担当した吉原氏は、2020年3月の株主総会で代表取締役社長に選出され、現職に就くことになる。

「本当はスポーツ報道を続けるという選択肢もありました。報道という仕事は非常に楽しかったです。でも自分にしかない役割を真剣に考えたとき、この道に進むべきだと思いました。"迷ったら新しいことに挑戦してみる"が自分の中でひとつの指針になっています」(吉原氏)

「ホテルは人と人とのふれあいが毎日のように起きている場所です。お客さまは非日常を求めてホテルにいらっしゃるので、そういう幸せな空間に携われる、幸せな時間を過ごすお手伝いができるというのは、本当に素晴らしい仕事だと実感しています」(吉原氏)

○ホテルに泊まり込みで対応したコロナ禍、そこで生まれた新たな柱

2020年3月と言えば、新型コロナウイルス感染症が世界中で猛威を振るい始めていた時期。
吉原氏は代表取締役社長に就任後、わずか8日で緊急事態宣言の発令を聞くことになったという。

宿泊、料飲、宴会も一部を除いてクローズし、その状態は約1カ月半にわたり続いた。世界はどうなっていくのか……漠然とした不安がある中で、パレスホテル東京の従業員は「ホテルを守る」「緊急事態宣言の解除後になにをするか」を考えていた。

「緊急事態宣言中に部長以上が状況に応じてホテルに泊まり、連日議論をしました。一番苦しいところからのスタートだとしたら、あとは上がるしかない。思いのほかポジティブな自分があのときはいました」(吉原氏)

幸い、パレスホテルはオフィスビルも運営していたため、コロナ禍が長引いても経営の安定は図れた。吉原氏は社員のアイデアを取り入れつつ、ホテル事業以外に新しい売り上げの柱を作ることに尽力する。

「とくに力を入れたのがホテルの事業拡大と外販事業です。弱かったオンラインショップも強化しました。いまは行っていませんが、ドライブスルー式のテイクアウトを試したりもしました。」(吉原氏)

パレスホテル東京はコロナ禍、百貨店や駅ナカなどで延べ300日以上催事を行った。この取り組みは後に、伊勢丹新宿店、日本橋三越本店にホテル外の常設店舗として展開する「パレスホテル東京スイーツブティック」や、ECサイトの売上増、2024年に代官山に開業したブーランジュリー「Et Nunc Daikanyama(エトヌンク 代官山)」として結実している。

「私は社長になって1年半ほど、休日以外はホテル暮らしでした。
コロナ禍が落ち着くまでは、本当になんとかしたいという一心でした」(吉原氏)

2022年10月に水際対策が大幅緩和されるに伴い、インバウンドが右肩上がりで増加。2024年には約3,680万人の外国人が日本を訪れるようになった。このような中でホテルの客室単価も上昇したが、一方で多くの外資系ホテルが新たにオープンし、ラグジュアリーホテルの競争は激しさを増している。

「パレスホテル東京だからこそできる価値を提供しないと、お客さまに選んでいただけない、と痛切に感じています。大切なのは、お客さまの記憶に残る思い出をどうやって提供できるかです。ホテル、レストランに来ていただける理由を紐解いていかなければならないし、スタッフの対応も細部にまでこだわっていかなければなりません。総合力でしっかりとパレスホテル東京の価値を出していきたいと思います」(吉原氏)

○働きやすさと働きがい、両輪のバランスで人材を集める

インバウンドで活況のホテル業界にとって、大きな課題となっているのが人手不足だ。同社は人事部門が日本各地で学校訪問を行うなど継続的に採用活動に取り組み、これまでコンタクトしていなかった層にもリーチを広げているが、これ自体はどんな企業でも行っていることだろう。

「働きやすさという面で、ホテル業界は休みが少ないと言われていますが、当社は今年休日を増やし、今後も計画的に増やしていく予定です。給料面でもホテル業界だけでなく、他の産業にも勝てるような水準を目指し、3年連続で賃上げを実施しました」(吉原氏)

そんな中でパレスホテルは、ホテルに愛着を持って働き続ける人材をしっかりと確保している。その背景には「働きがい」があるだろう。

「働きやすさと働きがい、両輪のバランスが重要だと思っています。
我々はパレスホテル東京だけでは若い人達がキャリアを描きにくくなっています。私の役割は、パレスホテルのブランド力を活かして事業を幅広く展開し、若い人たちが様々なポジションで働く機会を用意することだと考えています」(吉原氏)

今年創立65周年を迎えたパレスホテルは、既存のフラッグシップのパレスホテル東京を更に輝かせていく一方で、「強い思いがあれば、新しいことを積極的に取り組みなさい」という風土がある。例えばブーランジュリー「Et Nunc Daikanyama(エトヌンク 代官山)」も、現場の社員の強い思いから誕生したプロジェクトだそうだ。

また、「会社の成長を社員に見せていくことも重要」と吉原氏は説く。パレスホテルは2029年に台湾進出を予定しており、ホテル開発プロジェクトのチームも増強されている。ただし、チェーン店のように数を追うのではなく"良いものを良い場所で"展開していくという。

「ホテルには、街を活性化させる側面もある。ホテルができるとその街が発展する、観光客が訪れる、都市開発的な部分や地方創生の要素もあるということを若い人達に伝えたい。そうした"面白さや働きがい"を、いまの若い人達に感じてもらえたらと考えています」(吉原氏)

○高い評価の要因は"一つひとつの積み重ね"

「Travel+Leisure」において、日本のホテルの中で唯一となる「世界のTop100ホテル」にランクインしたパレスホテル東京。吉原氏はその要因を「特別な施策があるわけではなく、一つひとつの積み重ね」と語る。

「開業前から日系初のラグジュアリーホテルを作ろうという強い思いで、当時開業に携わった人達は世界中のホテルを研究してきました。我々は『美は細部に宿る』という言葉をよく使いますが、封筒1枚、プレスリリース一通、お客さまに渡すアメニティひとつにまで、すべてにこだわった結果の積み重ねが評価につながっていると思います。
地道に継続していくこと。ブランドは我々が作るものではなく、お客さまがホテルにいらして、スタッフを育てていただき、お客さまがブランドを作ってくださっているものだと考えています」(吉原氏)

ホテル業界には「100-1=0」という言葉があるそうだ。これは、玄関に立つドアマンからロビーにいるゲストリレーション、フロント、ハウスキーピング、ベルマン、レストランサービスにいたるまで、すべてが完璧に機能して初めて評価されるという意味だという。

「一人がミスをするだけで、お客さまのホテルへの印象がゼロになってしまうことを常に意識しています。パレスホテルには新卒で入社して長く働いてくれるスタッフが数多くいます。そうしたスタッフが宿泊部やレストラン部など様々な部署を経験することでセクショナリズムをなくし、部門間の垣根を越えたサービスが実現できているように感じます。これがホテル全体でのチームワークやおもてなしにつながっているんだと思います」(吉原氏)

そのうえで吉原氏は、パレスホテルの特徴的な取り組みとして「ゲストエクスペリエンス」を挙げた。

「約7年前にゲストエクスペリエンスというチームを創りました。従来は、宿泊のお客さまは宿泊部、レストランのお客さまはレストラン部という縦割りでサービスを提供していましたが、実際には宿泊のお客さまがレストランを利用されたり、レストランの常連のお客さまが宿泊されたりすることもあります。そこで、部門を横断的に取りまとめるチームを作り、情報を共有してサービスを提供する体制を整えました」(吉原氏)

○一期一会の気持ちを持ってお客さまに接する

パレスホテルは、2020年に大阪に「Zentis Osaka」をオープンした。そして2029年に、台湾においてパレスホテルとして海外では初となるマネジメント契約による「アンバサダーパレスホテル台北」の開業を予定している。

「まずは2029年の台湾で結果を出していくことが重要です。
台湾で老舗のアンバサダーホテルが建て替えに伴い当社に声をかけていただきました。ここパレスホテル東京を建て替えたように、台湾の土地に根ざした、その地を代表する独立系ホテルを目指しています」(吉原氏)

またZentisは今後、国内主要都市にも出店し、さらなる海外展開も進めたいと吉原氏は展望を述べる。

「なにより大切なのは、フラッグシップであるパレスホテル東京が常に輝き続けることです。"現状維持は衰退の始まり"。開業から13年たちますが、常に進化し続ける必要があります」(吉原氏)

パレスホテル東京では、開業から7年後の2019年にフランス料理のレストランを一新し、アラン・デュカスとパートナーシップを結んで新しいレストラン、フランス料理「エステール by アラン・デュカス」をオープンした。設備投資や修繕も継続的に行い、現状に甘んじることなく前を見据える姿勢が伺える。

そんな吉原氏が大切にしている言葉のひとつが、"美しいこころで、感性をゆさぶる"だ。

「当社で働く人たちには『お客さまの感性をゆさぶることができているか』を常に問い続けて欲しいと伝えています。ホテルのお客さまは、毎日来られる方もいれば、一生に一度という方もいて、まさに"一期一会"の世界です。たとえ忙しくても、その一期一会の気持ちを持ってお客さまに接することが大切だと思っています」(吉原氏)

また、「自分のコンフォートゾーンから出ていく」ことも重要だと語る。

「ホテルは毎日を安全・安心に運営していくことも大切ですが、コンフォートゾーンから出なければ進化はできませんし、私自身も常に意識しています。」(吉原氏)

ホテルはいわば箱物ビジネスであり、大量生産によって売り上げを伸ばすことはできない。パレスホテル東京であれば、284室の客室と約600席の料飲施設という限られた空間の中で売り上げていくというある程度の上限が現実としてある。それでも「限界を決めたくない、諦めた瞬間に限界が来る」と吉原氏は言う。同氏が様々な事業を行っているのも、そんな気持ちの表れだろう。

「スタッフとの距離感が近くなるよう心がけています。ニューヨークのホテルで働いていたとき、ホテルの総支配人が自分の名前を覚えてくれて、家族のことも気にかけてくれたことは本当に嬉しかったです。ですから当社でも、一定期間以上勤めているスタッフには手書きのメッセージを添えた誕生日カードを送ったりしています。夢は、社員が1,000人になったら誕生日カードをやめること(笑)。次の人にバトンを渡すためにも、会社をもっと大きくしていきます」(吉原氏)
編集部おすすめ