キリンホールディングスが手がけた減塩サポート食器「エレキソルト」が注目を集めている。電気の力で減塩食の塩分やうま味を増強させ(※)、食事を楽しめるように工夫された製品だ。
今回は開発担当者でエレキソルト事業責任者の佐藤愛さんに、開発の背景や製品のこだわり、今後の展望を聞いた。

必要性は理解していても...「減塩生活が続かない」と悩む人が多い

佐藤さんは2010年、キリンホールディングスに研究職として入社し、基礎研究所で新規事業の研究開発を担当してきた。植物性ミルクや新しい食品素材の開発など、従来の飲料づくりとは異なる領域で、同社の新たな価値づくりに取り組んできた。エレキソルトも、そうした挑戦の中から生まれた取り組みの一つである。

「エレキソルトの着想は、まったく別の食品素材を研究していた際、大学病院の医師から聞いた『患者さんは減塩の大切さを理解しているのに、食事療法が続かない』という言葉がきっかけでした。実際に当事者の声を聞くと、減塩の必要性は分かっていても、薄味の食事を長く続けることが難しいという現実がありました。こうした減塩生活の続けにくさを少しでも解消できないか、と考えたことが開発の出発点です」

同社には、通常業務時間の1割を新しい挑戦に充ててよいという「10%ルール」がある。佐藤さんはこの制度を活用し、明治大学・宮下研究室が進めていた「塩化ナトリウムに頼らず、電気刺激で味を再現する技術」を応用した共同研究をスタートさせた。

「もともとゲームや『攻殻機動隊』のようなSF作品が好きで、電気を使った感覚再現技術に興味がありました。バーチャルリアリティの学会に参加した際、宮下研究室が電気で味覚を増強したり抑制したりする研究をしていることを知り、これは社会に実装できる技術かもしれないと感じたんです」
着想から5年。技術の確立と安全性を乗り越え製品化

佐藤さんは研究の成果を受けて2019年、新規事業化を支援する社内制度「キリンビジネスチャレンジ」に応募した。2020年夏には社内審査を通過し、本格的な事業開発がスタートした。


「とはいえ、社内からは『なぜ、うちの会社が電気機器をつくるのか? 』という声が多く、理解を得ることは簡単ではありませんでした。さらにコロナ禍の最中だったため、リモートでのインタビュー調査や技術検証を重ねる必要がありました」

開発する中で特に難しかったのは「技術の確立」と「家電レベルの安全性」を両立させることだった。

エレキソルトは、微弱な電流を食品を通じて舌に伝えることで食事の味を増強する(※)。スプーンの先端と持ち手側、またはカップの底と持ち手に電極が配置されており、手で握って食事をすることで電流回路が成立し、味の感じ方が変化する。最初は基板がむき出しの試作機を使い、電流の流し方と味わいの変化をひたすら検証した。その結果、塩味やうま味を増強できる(※)電流パターンを特定し、特許の取得にもつながった。

そして、日常的に使う食器として安全性や耐久性を確保することも大きな課題だった。飲料の開発経験には豊富な知見があったものの、家庭用の電気機器は未経験の分野。そこで手を取り合ったのが、美容機器メーカーのヤーマンである。

「水濡れや落下、食洗機での洗浄など、家庭環境を想定した数多くの検査を行い、弊社の品質基準をクリアする必要がありました。こうした研究を積み重ね、着想から約5年をかけて、2024年5月にようやく第1弾製品を形にすることができました。例えばその第一弾商品を見て、ヤーマンさんが『自分たちだったらこんなものが作れる』と試作機を作って持ってきてくださったんです」

食器であるエレキソルトは、コンピュータの入っている本体と食器部分を取り外すことで、食洗器も対応可能。
しかしながら、食器である以上本体部分にも水がかかることを想定しなくてはならない。そこで、美顔器やバスルームでも使える美容機器を開発してきたヤーマンの防水技術を生かした機器設計にこだわった。さらに食器として長く使ってもらうためのデザイン設計や、家庭での使いやすさといった点でも協力を仰いだという。
第1弾製品は予想台数の7倍を上回る注文数を記録。一方で「個人差がある」という課題も

シリーズ第1弾の「エレキソルト スプーン(ES-S001)」は健康意識の高まりや「キリンが電子機器の開発・販売をしている」という話題性から、販売開始から7カ月で予定台数の7倍を上回る注文数を記録した。

「発売後、『薄味の食事が楽しくなった』『両親へのギフトに喜ばれた』といったポジティブな声が寄せられた一方で、『電流の体感に個人差がある』『スプーンが大きく扱いづらい』といった意見もありました。そこで、スプーンの小型化や食洗機対応、電池の汎用化などの改良を重ねて2025年9月、第2弾の「エレキソルト スプーン(ES-S002)」を開発しました」

さらに、「日常の汁物をおいしく味わいたい」という声を受け、カップ型の「エレキソルト カップ(ES-B001)」も同時発売。現在は購入者の約半数弱が、家族の健康を思ったギフトとして購入している。

意外だったのは、20~40代の若い世代でも「これをきっかけに減塩に挑戦したい」という予防的なニーズが強く、購入者の2割を占めた点だ。また、購入後のアンケート調査では、減塩目的に限らず、果実ゼリーやスイーツ、コーンスープ、お汁粉など、さまざまな食品に使って「味の変化を楽しんでいる」という声も寄せられている。

「今後は病院や高齢者施設での導入も視野に入れながら、耐久性の向上や高温食洗機への対応を整えているところです。また、今年1月に参加した世界最大のテクノロジー見本市である『CES』では海外からの反響もあり、アジア圏を中心に市場展開に向けた準備も着々と進行しています」

エレキソルトは11月から全国の家電量販店やバラエティストア、公式オンラインストア以外のインターネットショッピングで展開している。
「減塩」を通じて日本の健康課題解決に取り組む佐藤さんの活躍に、今後も注目だ。

※体感には個人差があります。また、料理によっても体感が異なる場合があります。
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