近年、グランドセイコーの腕時計がアメリカで売れている。スイスをはじめ、世界各国の時計ブランドがしのぎを削るアメリカ市場で、日本の時計ブランドがいかにして人気を獲得し、シェアを広げていったのか。
セイコーウオッチ株式会社取締役・執行役員 兼 GSグローバル本部長の柴﨑宗久さんに、その背景やアメリカでの売れ筋モデル、今後の展望などの詳細をうかがった。

グランドセイコーがアメリカで人気を獲得できた理由とは

――アメリカ市場でグランドセイコーの売り上げが伸びています。これにはどのような背景があるのでしょうか?

グランドセイコーは1960年に誕生して以来、ほとんど日本市場向けにマーケティングをしていました。一方で、アメリカでは1970年頃からセイコーブランドがすでに進出していました。そのため、グランドセイコーが進出する以前からアメリカにはすでにセイコーの熱狂的なファンが多く存在していたことが事実としてあります。

――グランドセイコーは、2010年のバーゼルフェアでのグローバルローンチで海外正規販売がスタートし、2017年には独立ブランド化しています。ここからどのようにアメリカ市場での展開を進めていきましたか?

まず、2018年にGrand Seiko Corporation of Americaという別会社を設立し、高級品を取り扱う組織を作るところから始めました。スイスの高級ブランドから社員をヘッドハンティングするなどして、高級品を取り扱える組織ができたことを契機として、高級時計流通に進出しています。次にコミュニケーションも従来のマスメディアではなく、「HODINKEE」などのデジタルメディアを活用して、時計好きに対して直接的にアプローチしていきました。また、直営ブティックをニューヨーク、マイアミ、ロサンゼルスのロデオドライブにオープンし、ブランドを高級時計店だけで売るのではなく、我々のブランドの世界観を体感していただきながら認知を広めるということも行っています。

――それらの施策が功を奏して、アメリカでの売り上げがどんどん上がっていったのでしょうか?

もちろん簡単にはいきませんでしたが、前述したようにセイコーのファン層がいたことは大きかったですね。彼らはセイコーの良さもグランドセイコーのことも知っていますが、正規販売がされていないために欲しくても購入できなかったのです。
その中で我々がしっかりした高級時計店と組んだこと、直営ブティックという信頼できる売り場ができたことで、だんだんと販売が広がっていきました。

もうひとつの要因としては、やはりデジタルの力が挙げられます。その頃からSNSやYouTubeといった自分の言葉で発信する時計ファンが増加してきました。すでにアメリカにも浸透していたスイスの高級ブランドと比較すれば、グランドセイコーは新しいブランドです。それもあって、彼らがグランドセイコーを取り上げるとフォロワーから「いいね」がたくさんつきました。そのような追い風もあり、我々としては非常にいい時期に進出することができたなと考えています。
アメリカ人がグランドセイコーを評価するポイントは

――アメリカ市場での現状はいかがですか?

実は、コロナ禍のアメリカでは、車、時計、ワイン、ウイスキーなどの高級商材がよく売れていました。まさにバブルと言える状況でしたが、徐々に日常を取り戻していく中で、2022年から2023年頃にはそのバブルは弾けました。この時期は、ほとんどの時計ブランドが厳しい状況にあったと思います。そうしたタイミングでも、我々は2024年に580㎡という世界最大のブティックをアメリカにオープンしました。厳しい中でもブランド認知拡大の努力を積み重ねたことで、直近2026年3月の中間決算ではアメリカでの売り上げも回復して、前期比でも非常に伸びている状況です。

――アメリカ人はグランドセイコーのどこに魅力を感じていると思いますか?

例えば我々セイコーには「スプリングドライブ」のような他にはない技術があります。
これはスイスの時計メーカーもトライしましたが諦めてしまったほど、独自性のあるムーブメントです。もともと定評のあったテクニカルバリュー、日本の感性を腕時計で表現したエモーショナルバリューもグランドセイコーの魅力ですが、それらに加えて他社が真似できない技術的革新を兼ね備えているところが評価されていると思っています。

スプリングドライブもいきなり受け入れられたわけではなく、最初はどちらかといえば西海岸、もっと言えば、シリコンバレーのIT関連企業に勤める感度の高い時計好きたちが興味を持ったことがきっかけです。彼らが目をつけて、口コミなどで評判が広まっていきました。購買層も日本だと50歳以上の方が主流ですが、アメリカでは30代から40代という比較的若い層が中心です。
アメリカ市場での成功に導いた3モデルとは

――そんなアメリカ市場で反響の大きかったモデル、もしくは今売れているモデルを教えてください。

我々が最初にアメリカで認知され、売れ始めたのは「雪白(ゆきしろ)」と呼ばれるダイヤルが特徴の「SBGA211」です。

白く輝くダイヤルがまるで雪原のようにみえるため、海外市場では「Snowflake(スノーフレーク)」という名前がついた、約20年以上のロングセラーモデルです。流れるようになめらかに動く青い秒針は青空をイメージしており、しんしんと降り積もった雪景色とわずかに覗く空の青さを表現しました。

次にヒットしたのが「SBGA443」です。散った桜の花びらが川面を覆う「花筏(はないかだ)」の情景を写し取ったモデルで、海外では「Cherry Blossoms(チェリーブロッサム)」の愛称がついています。

遠目から見るとグレーのようにもみえる、淡いピンクのダイヤルで、さりげないピンクの色味がスーツにも合わせやすくなっています。
ぱっと腕時計をみたときに、その表情がほかのモデルと比べて温かみのある明るい色をしている点が、腕時計のデザインとしてあまり前例がなかったため、評価されています。

そして、現在グランドセイコーを牽引しているのが、「SLGH005」通称「白樺」です。海外では「White Birch(ホワイトバーチ)」と呼ばれています。

こちらは“時計界のアカデミー賞”とも呼ばれる「ジュネーブ・ウオッチメイキング・グランプリ」で、2021年のメンズ賞を受賞しました。白樺が立ち並ぶ林の風景をモチーフに表現しました。白樺林のようなダイヤルの加工が光の角度によって華やいで見えるときもあれば、落ち着いたグレーにも見える、表情豊かな一本です。
トランプ関税の逆風をどう受け止めたのか

――アメリカでは今年4月に、大統領のトランプ氏が関税引き上げの枠組みを公表しました。時計業界全体でも無視できない動きだったと思いますが、影響をどのようにとらえていましたか?

アメリカ市場におけるトランプ関税の影響は、社内でもかなり大きなトピックでした。関税が上がれば、その分を価格に反映しない限り粗利が削られてしまいます。グランドセイコーはすべて日本製なので、日本からの輸入関税がどこに落ち着くのかは、社内外でも非常に注目されていました。現時点では税率は15%で落ち着きましたが、従来の水準から見れば倍以上で、影響が小さいとは言えません。

この関税上昇を受け、2025年夏にアメリカでの小売価格を約5%引き上げました。
市場全体でもスイス勢を含め多くのブランドが値上げをしており、価格改定自体は受け入れられやすい環境だったと思いますが、値上げによって数量が落ちる可能性も想定しなければなりませんでした。実際には数量は下がらず、値上げ後も毎月前年を上回る売り上げを維持できています。

関税の問題が働いたわけではありませんが、急激な環境変化が起こり得るという認識は社内で強まりました。アメリカは世界最大の市場で、そこでの変化はブランド全体に大きな影響を与えます。だからこそ、環境が変わっても選ばれ続けるブランドであることが重要で、ブランドフィロソフィーに立ち返り、今うまくいっているものをさらに深めていく。その意識がより明確になった出来事だったと思います。
定番モデルを強化し、正常なサイクルでのビジネス拡大を狙う

――今後のビジネス展開で考えていることはありますか?

かつてのグランドセイコーは限定品を含めて多くのバリエーションを作っていました。でも、我々は将来に向けては商品体系を絞り込み、「GSと言えばこれ」と頭に浮かぶような定番モデルを作っていきたいと考えています。やはり魅力ある定番モデルを強くすることで、今年のトランプ関税のような突発的な環境変化にも耐えられると思います。

――限定品や「ここでしか買えない」といったような要因があると、希少価値が上がり売れそうなイメージもありますが?

これは時計だけではないと思いますが、やはり限定品は売れます。その代わり、出し続けないと翌年の売上が下がりますから、作り続けなければいけません。

理想的なのは定番モデルがベースにあり、必要に応じて限定品を出してブランドを想起させる。
そして、また定番モデルに戻ってそれを中心に販売していくという流れです。そうでなければ、やはりブランディングとして課題があると言わざるをえないのかなと思います。

――最後に今後のグローバル展開について教えてください。

やはりアメリカが1番主要なマーケットであることには変わりません。もちろん、欧州やアジアなども大事ですが、アメリカで成功したという事実が他国に与える影響は非常に大きいです。アメリカはデジタルの力も強いので発信力が他国とは全く違いますね。

一方で、ラグジュアリーウオッチの世界はある意味かなり確立されているので、我々としてはまずは新しい技術を取り入れながら、日本のラグジュアリーブランドとして唯一無二の独自性を持つ優れた腕時計を作り続けることが重要だと思っています。そのうえで、ブランドの世界観を体感できる直営のブティックを主要都市にオープンするとともに、商品をしっかりとディスプレイして説明できる高級流通とのパートナーシップも強化し、お客様にきちんとした環境で商品を見てもらう。我々がこれまでにも取り組んできているところではありますが、ブランド価値を向上する地道な取り組みを継続していかなければいけないと思います。
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安藤康之 あんどうやすゆき フリーライター/フォトグラファー。編集プロダクション、出版社勤務を経て2018年よりフリーでの活動を開始。クルマやバイク、競馬やグルメなどジャンルを問わず活動中。
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