企業の成長を阻む「IT部門の壁」:SaaSベンダーと事業会社の共通課題

筆者がこの3年ほど日本のSaaSベンダーに関わってきて、最近、業界全体の大きな課題だと感じるのが、事業会社のIT部門のリソース不足です。これがSaaSベンダーの成長に悪影響を及ぼすのではないかと懸念しています。


実情として、特に売上100億円以下の成長途上にある企業では、全社的なIT管理を担う人員が数名しかいない、というケースがほとんどではないでしょうか。それも2名~3名程度。このリソース不足こそが、データ駆動型の優れたオペレーション構築の高い壁となっている気がしてならないのです。

では、IT部門のリソース不足により具体的にどのような問題が生じるのでしょうか。なお、この話は、IT部門の個々の問題ではなく、会社の投資の課題ですので、ご注意を。
データ活用とKPI管理の「スピード」が失われる

IT部門のリソース不足によって引き起こされる問題について、4つの例を紹介します。
○オペレーション基盤の刷新が進まない現実

セールスやマーケティングのオペレーションを改善しようとする際、必ずこのIT部門の課題に直面します。具体的には、オペレーションの基盤となるCRM(Customer Relationship Management)やMA(Marketing Automation)といった重要システムの大規模な改変や刷新が、IT部門のリソース不足によって滞ってしまうのです。これでは、最新のテクノロジーを活用したデータ駆動型のオペレーションモデルを構築することはできません。筆者もオペレーションを再構築したいと思う機会が多いのですが、IT部門のリソース不足により迅速に行えない場面も多いです。
○KPIへの影響と戦略のズレ

多くのSaaSベンダーでは、KPI管理を徹底していると思います。データを取れるからKPIにするのではなく、戦略からどのような指標がKPIとなるかを考え、そのデータをトラックする手段を作っていきます。
IT部門が弱いと、データがとれる範囲でのKPIの設定や、迅速なKPIのステータス確認ができないという事態に陥ります。
○経営戦略の実装での課題

筆者が戦略的にPLG(Product Let Growth)を取る場合に、課題に遭遇したことがあります。PLGは最初は機能の大半は無償で使用でき、その後、さらに魅力的な追加機能を使う場合は有償プランに切り替えるビジネスモデルです。HubSpotが有名です。これを実装するのは、実は簡単ではないのです。

PLGは製品開発以外にも、EC機能、契約の自動化、プロビジョニングの自動化、請求処理などの実装が必要になります。かなりの部分でIT部門が関わる必要があります。ここでも、IT部門のリソースが不足しており、素早い対応が困難な状態に遭いました。
○カスタマーサクセスにおける課題: LTV最大化のボトルネック

近年、CS(Customer Success)は、サブスクリプション型ビジネスにおいて極めて重要な役割を担っています。しかし、CS活動に必要な「ヘルススコア」の仕組みを構築するには、SaaS製品から出力されるログデータ、顧客満足度、マーケティングへの関与度、カスタマーサポートの履歴など、多岐にわたるデータを統合的に確認できる環境が必要です。

当然ながら、この環境整備にも開発部門だけではなくIT部門が不可欠ですが、残念ながらこれを実現できている企業はまだ少ないのが現状です。結果としてアップセル / クロスセルが実現しない、つまりSaaSベンダー自身のLTV(Life Time Value)最大化を妨げるという構造的な問題に直面しているのです。


後回しの代償:組織とアーキテクチャの重要性

「ある程度規模が大きくなったらIT投資をしよう」と考えている経営者も少なくないでしょう。しかし、最初からIT部門の組織やシステムのアーキテクチャを戦略的に考慮しておかないと、後から対応するにはとてつもない労力を要します。もし筆者が新たに会社を立ち上げるなら、初期段階から将来のITのアーキテクチャを描き、IT部門のリソース確保を戦略的に行う図を書きます。

ヒント:かつてのシスコシステムズの事例

筆者が2007年から2010年までシスコシステムズに勤務していたときの経験は、今でも印象的です。本社のマーケティング組織のすぐ隣に、IT部門のMarketing ITグループが席を構え、密接に連携しながらマーケティング組織へのITサポートを戦略的に行っていました。マーケティングオペレーションが多岐にわたるテクノロジーの上に構築されているからこその、理にかなった体制でした。
セールス&マーケティグでの解決策としてのRevOps

最近注目されているのがRevOps(レベニューオペレーション)です。RevOpsは、従来は個別に行われていたマーケティング、セールス、インサイドセールス、カスタマーサクセスのオペレーション・グループを統合し、売上(Revenue)に関する一気通貫のオペレーションを実現することを目指します。

その目的の一つは、サイロ化が引き起こすデータや組織の課題を解決し、共通の目的に向かうことです。RevOpsには、オペレーションとイネーブルメントに加えて、以下の2つのチームが必要とされます。
○RevTechの管理

RevTech(Revenue Technology)は、Marketing Technologyベンダー、Sales Technology、CS Technologyの中から、自社に最適なサービスを選択し、導入・定着させ、継続的に改善していくチームです。

これは、前述のシスコシステムズにおけるMarketing ITに近い役割を果たします。
現在、Marketing Technologyは全世界で1万5000種類があると言われており、毎年1000以上増えています。Marketing Techology だけでこれだけ多いのです。

2025 Marketing Technology Landscape Supergraphic: 100X growth since 2011, but now with AI…

そのような世界の中で最適なTechnologyを選択することは至難の業で、常に市場動向をウォッチしておく必要があるのです。片手間ではできません。
○データ管理・インサイト

各種アプリケーションから出力されるデータをデータウェアハウスやデータレイクに集約し、分析できる環境を整備します。売上に貢献したマーケティング活動は何か、案件創出に効果があったマーケティング活動は何かなどを瞬時に分析できる環境です。そして、単なるレポート作成にとどまらず、そこから得られたインサイトをRevenueに関連する部門に提供します。また、データからオペレーションを自動化するような高度な業務も含まれています。

企業の成長とデータ駆動型の意思決定には、このような専門チームが不可欠だと、筆者は最近強く感じています。
外部依存では解決できない理由

サブスクリプション型ビジネスの請求処理やHCM(Human Capital Management)などのバックオフィスにも最適なアプリケーションを導入する必要があり、全社的にIT部門のリソース不足は深刻化する一方です。人手不足もかなり深刻です。

ここで、ITリソースが不足している企業が外部コンサルタントやSIerに頼ればいいのでは?という疑問が生じます。
内製ITですべてを行う必要性はありませんが、要件定義やプロジェクト管理はやはり社内のIT部門がリードしなければ、より業務に適合したシテテムは作れません。

外部の力も重要ですが、SaaSが日進月歩で進化する中で、ビジネスの要件とテクノロジーを深く理解し、迅速かつ継続的に改善できるのは、最終的に内製の専門チームがリードしなれば難しいと筆者は考えています。段階的に進化させるアジャイルアプローチも必要ですからね。

成長のボトルネックを解消するためにも、ITをコスト部門ではなく戦略的な資産と捉え直し、IT部門への戦略的な投資、そしてRevOps体制の構築に踏み出すことが、今の日本のSaaSベンダー、そして成長を目指すすべての企業に求められています。IT投資の遅れは、LTVやCAC(Customer Acquisition Cost)といった重要KPIに致命的な影響を与えかねないという危機感を持つべきですね。

北川裕康 キタガワヒロヤス 現在は独立して、経営・営業&マーケティングのコンサルティングサービスを上場企業やベンチャー企業、および外資日本法人に提供している。2025年3月末までAI inside株式会社の執行役員CPO(Chief Product Officer)。38年以上にわたりB to BのITビジネスに関わり、マイクロソフト、シスコシステムズ、SAS Institute、Workday、Infor、IFS などのグローバル企業で、マーケティング、戦略&オペレーションなどで執行役員などを歴任。大学は計算機科学を専攻して、富士通とDECにおいてソフトウェア技術者の経験もあり、ITにも精通している。前データサイエンティスト協会理事。マーケティング、テクノロジー、ビジネス戦略、人材育成に興味をもち、学習して、仕事で実践。書くことが1つの趣味で、連載や寄稿多数あり。
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https://news.mynavi.jp/techplus/article/20250313-3151195/
https://news.mynavi.jp/techplus/article/20250312-3150285/
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