第98回アカデミー賞でもオリジナル脚本賞、主演男優賞の2部門にノミネートされたリチャード・リンクレイター監督の『ブルームーン』(3月6日公開 配給:ロングライド)は、『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』や『わが心に歌えば』など数多くの名曲の作詞を手がけたロレンツ・ハート(イーサン・ホーク)が、あるパーティに訪れた一夜を描いた作品だ。

舞台となるのは、ニューヨーク。
ブロードウェイと8番街の間にあるレストラン「サーディーズ」だ。その夜は、初演を迎えたリチャード・ロジャース(アンドリュー・スコット)の新作ミュージカル『オクラホマ!』のパーティが催されることになっていた。初日に劇場へと足を運んだロレンツは、『オクラホマ!』を酷評し、バーテンダーのエディ(ボビー・カナヴェイル)や、店でピアノを弾くモーティ・リフキン(ジョナ・リース)、居合わせた客らにくだを巻き、恋焦がれる女学生のエリザベス・ワイランド(マーガレット・クアリー)のことを打ち明ける。

長年コンビを組んでいた作曲家のリチャードは、新しいパートナーとして、オスカー・ハマースタイン二世(サイモン・デラニー)を選んだ。この夜、ロレンツは、自身のキャリアと私生活が静かに終わっていくのを感じ取っていたのだった。
○作品を覆う3つの「不思議」

この作品には、いくつか不思議な点がある。

まず、イーサン・ホークの身長だ。物語の冒頭は比較対象となる人物がおらず、バーカウンターに座っているので気づかなかったが、立ち上がって、比較となる人物がフレームに入ると、驚くほど身長が低いのが分かる。イーサン・ホーク自身の身長は180cm弱だが、ロレンツはエリザベスよりも頭ひとつ分くらい小さい。実際のロレンツ・ハートも小柄な人物だったが、この演出のために、セットに溝を掘ったり、斜俯瞰から撮影してみたりといったアイディアが盛り込まれている。

また、本作は、ミュージカル映画ということになるのだろうが、登場人物が突然歌い出したり、踊り出したりといった場面はない。ジャンルの定石を外した構成になっているのも不思議な点だ。
これはミュージカルというジャンルに「異化作用」を求めた劇作家のベルトルト・ブレヒトとは異なる手法である。「異化効果」では、観客に対して、日常とは離れた表現方法を採ることで(突然歌う、踊る)、その違和感を批評的に観察するように促す。しかし、この作品では、時間流れの中に自然に配置することによって、ブレヒトがむしろ批判した、登場人物への感情移入を促すものになっている。先述の小さく見えるイーサン・ホークの演出も含め、「異化作用」より、どちらかと言えば、会話と時間の持続によって人物の内面に迫るリアリズムを重視しているように感じられるのだ。

不思議、ということで言うと、そもそも、リチャード・リンクレイターという作家自身が不思議な存在である。本作は、ほぼ、レストラン「サーディーズ」の店内で起こることが描かれており、ロケなどは行われていない。見れば分かるが、低予算映画なのだ。本人の出自がインディーズ映画ということもあるだろうが、低予算下では、『スラッカー』(1991)をはじめ、良作が多い。一方で、いわゆるハリウッド・メジャーとも仕事をしており、メジャーとインディーを行ったり来たりできるタイプの監督なのだ。似たタイプの監督にスティーヴン・ソダーバーグがいるが、ソダーバーグとは作風以外にも違いがある。それは、ビッグバジェットを手にすると、何をしていいのかわからなくなるところではないか。象徴的な作品として挙げられるのが、メジャー映画として最初に着手した『ニュートン・ボーイズ』(1998)で、決して駄作ではないが、なんともボンヤリした仕上がりの印象で、リンクレイターらしさが失われてしまっているように感じる。
以降もメジャー映画を手がけてはいるものの、その傾向は続いているように思えるが、それでもメジャーからオファーが来るのは、インディー映画が高評価を得ているからであろう。『ブルームーン』は、低予算だったからこそ、作家性を全面に押し出せ、結果として高い評価につながったと言える。
○リンクレイターの作家性を全面に押し出した仕上がり

リンクレイターらしさ、をもう少し掘り下げると、本作が『テープ』(2001)と同じ時間の流れで構成されているところに表れている。『テープ』はモーテルの一室で繰り広げられる会話劇なのだが、その会話は、映画を見ているのと同じ時間で交わされるのだ。カットは切り替わるものの、画面での出来事は、鑑賞時間と同じ時間で流れていく。『ブルームーン』も『テープ』同様、「サーディーズ」でのパーティでの会話の時間が刻まれ、その乖離がない。この方法論は、映画の最大の特徴である「編集」の介在を最小限にとどめ、演劇的な仕上がりを意識したとも言える。『テープ』に関しては、元々が舞台作品だったのを映画化したので、原作ありきで展開したら、そうなった可能性があるが、『ブルームーン』はオリジナルの脚本だ。『テープ』で採用した方法論を前進させたのが『ブルームーン』であり、そこに、視覚面でのリアリズムが伴ったことにより、映画らしい映画に仕上がったのではなかろうか。演劇的ではあっても、モンタージュ技法より、カメラを回し続け、現実の持続に重きを置く映画批評家のアンドレ・バザンが提唱したスタイルに近い印象を受ける。

会話劇の部分も、リンクレイター節全開という趣だ。息つく暇もないくらい次々と台詞が繰り出されていても、そこに説明はなく、思考の逡巡や感情の揺れ動き、他者との距離の変化を描写し続ける。
作中、長年コンビを組んでいたリチャード・ロジャースとの関係の終わりだけでなく、あちこちに「別れ」のモチーフが散見されるが、リンクレイター自身は「これは、哀愁に満ちた"別れの映画"です」とコメントしている。また、ロレンツとエリザベスの年齢の差は親子ほどあり、そこに恋愛関係を求めることに違和感がある人もいるかもしれないが、アルコール依存症、抑鬱などの問題、時代に取り残されようとしている作家の苦悩に対して、時代が受け入れてはくれない性的指向が明らかになるにつれ、段々とロレンツの置かれた状況に寄り添えるようになるはずだ。複雑でシニカルな作風のロレンツ・ハートと、明るく楽観的な作風のオスカー・ハマースタイン二世を対置させたこともまた、時代遅れになろうとしている作家の悲哀に寄り添っている。

たった一晩の出来事が、人生のすべてを変えてしまう。これはリンクレイターの代表作のひとつである『ビフォア・サンライズ』(1995)でも用いられた題材でもある。また、ブロードウェイの新しい時代が祝福される夜に、過去の時代に置き去りにされようとしている作詞家の声に耳を傾けるということは、歴史における勝者ではなく、文化の転換点で忘れられようとしている人物に時間を与えているのであり、敗者の歴史にスポットを当てたのも、リンクレイター的である。テーマの設定も含め、『ブルームーン』は、自身のキャリアを凝縮したような仕上がりになっているのではないだろうか。

■出演者(役名/俳優名)
ロレンツ・ハート:イーサン・ホーク
エリザベス・ワイランド:マーガレット・クアリー
リチャード・ロジャース:アンドリュー・スコット
オスカー・ハマースタイン二世:サイモン・デラニー
モーティ・リフキン:ジョナ・リース
エディ:ボビー・カナヴェイル

■スタッフ
監督:リチャード・リンクレイター
脚本:ロバート・キャプロウ

配給:ロングライド
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