タカラバラ
インテルがローマを訪れた時、ある選手が地元の記者の質問に答えてこう言った。
「僕らはローマにプレーしに来たんですよ」
スペイン階段もトレビの泉も関係ない。観光に来たわけじゃない。
「ローマには『勝つ』ために来た」
そう言わなければならなかったのだ。
エレーラがインテルの監督に就任した最初のシーズンは3位、次のシーズンが2位。それでも危うくクビになりかけていた。世界一の高給監督への期待はスクデット以外なかった。言い訳無用の3年目、エレーラのインテルはセリエA優勝を果たす。次の1963-64シーズンはチャンピオンズカップ優勝、1964-65も連覇。インターコンチネンタルカップも連覇。“グランデ・インテル”時代の到来である。
バルセロナでラディスラオ・クバラと対立したエレーラは、インテルでもスター選手とことごとく対立している。
TACALABALA――この、まるで呪文のような言葉は本のタイトルだ。
エレーラの死後、妻のフィオレ・ガンドルフィの著作として出版されているが、内容はエレーラが生前に残した有名な言葉の数々だ。それはインテルのロッカールームの至る所に貼られていた。タカラバラの「バラ」はボールの意味らしい。イタリア語なら「パラ」だが、ベネチアの方言だという。「タカ」のほうは「固執、執着」。つまり、タカラバラは「ボールへの執着」という意味になる。
タカラバラは、まるでアブラカタブラだが、エレーラの話し方は実際に多言語を1つのセンテンスに混在させていたという。
「タカラバラ」に残されているエレーラのメモにはWMシステムの考案図があるが、記されたのは1925年だ。つまり、オフサイドルールが変更された年で、ハーバート・チャップマンがアーセナルでこれをやり始める5年前ということになる。15歳のエレーラが本当にこれを描いたとは信じがたいが。
いくつかのエレーラ語録を紹介しよう。
<なぜ、ベストであろうとしないのか?>
これは後年、米国大統領ジミー・カーターの言葉として有名になった。
<スタイルとは、制限の中にある>
無秩序はスタイルを生まないということだろうか。
<最もまずいのは、誰かのアイディアを誤解することだ>
耳が痛い。
<物事が難しいのは、ただあなたが難しくしているからだ>
そうかもしれない。
<自分にいかなる疑念も持つべきではない>
<すべてを与えぬ者は、何物も得られない>
<才能+準備+知性+体力=チャンピオン>
インテルでプレーしたゲリー・ヒッチェンスのインテル時代の回想は滑稽だが、エレーラ式の一端が表れている。
「クロスカントリー(長距離走)で俺とスアレスとコルソが集団に遅れて走っていた。そして我われがようやく到着した時には、もうバスは出発してしまっていた。
リスボンの獅子たち
その夜、リスボンは熱狂に包まれた。
大量のスコットランド人がフィールドになだれ込み、セルティックの選手たちは追いはぎも同然、ジャージもパンツもストッキングもはぎ取られていった。トロフィーの授与式は中止され、キャプテンのビリー・マクニールは大混乱のフィールドから警備員に護衛されながら逃げ出す途中で、誰かから“ビッグイアー”を押しつけられている。
「フットボールの勝利」
ポルトガルの『ムンド・デポルティーボ』紙はセルティックの勝利を祝福した。
「遅かれ早かれ、こうなることは不可避だったのだ。エレーラのインテル、インテルのカテナチオ、ネガティブなフットボールは、代償を払わなければならなかった。フットボールを楽しむことを拒否した対価として」
1966-67シーズンのチャンピオンズカップ決勝、セルティック対インテルはリスボンのエスタディオ・ナシオナルで行われた。下馬評はインテルの圧倒的優位だ。
6分にサンドロ・マッツォーラがPKで先制。それ以降、インテルはもう攻めてこなくなった。必然的にセルティックは攻める。バーティー・オールドのシュートはバーを叩き、ジミー・ジョンストンのヘディングもバー。
「我われは英国に初めてのトロフィーを持ち帰る。
ジョック・ステイン監督の宣言通り、セルティックは攻撃に次ぐ攻撃を仕掛けたが、9人で守るインテルはまるで壁。すでに試合は一方的だが、セルティックに残された時間も刻々と減っていく。だが、壁は突然崩れた。63分、ジム・クレイグのクロスを受けたトニー・ゲメルが渾身のシュートを叩き込む。この2人はどちらもDFである。
終了まで残り6分、ボビー・マードックのロングシュートをスティービー・チャルマースがコースを変えてゴール。土壇場でセルティックは逆転に成功し、ついに難攻不落のカテナチオを陥落させた。背中に何もなく、パンツに番号がついている“尻番号”のスコットランド人は、ほとんど滅茶苦茶にフィールドを走り回り、無計画に城門への正面突撃を繰り返していたが、最後の最後にぶち破ったのだ。
「我われがプレーしたのは、純粋で、美しく、創造的なフットボールだった」(ジョック・ステイン)
ジョック・ステイン監督
「結果に何も文句はない。セルティックは勝利に値した。我われは敗れた。だが、この試合はスポーツの勝利である」(エレニオ・エレーラ)
このシーズン、ステイン監督のセルティックはすべてのタイトルを獲っている。
対照的に、エレーラはこの一戦で神通力を失ったようにタイトルから見放された。トレブルになるはずの3つのタイトルを寸前ですべて獲り損ねた後、次のシーズンも無冠。エレーラはインテルを去り、グランデ・インテルの時代も終わった。
すべての選手がグラスゴーから30マイル(約50km)圏内で生まれた者たちで編成されていたセルティックの面々は「リスボン・ライオンズ」と称えられた。
1966-67のチャンピオンズカップを制し、ビッグイアーを受け取るビリー・マクニール
荒馬
セルティックが感動的な優勝を果たした5月が過ぎ、夏を迎えた頃、ユップ・ハインケスがハノーファー96に移籍していった。ベルント・ルップとともにボルシア・メンヘングラッドバッハのゴールゲッターだったハインケスの離脱は相当な痛手だったはずだ。しかもルップまでベルダー・ブレーメンへ引き抜かれてしまう。
「去る者は追わず、だな。しょうがねえよ、ない袖は振れないんだから」
ヘネス・バイスバイラー監督には、いずれこうなることがわかっていた。ハインケスはすぐに戻ってくることになるのだが、小さなメンヘングラッドバッハの街のクラブに、名を上げたストライカーを留めておける資金はないのだ。
ハインケスとルップを失ったにもかかわらず、ボルシアMGはこのシーズンの順位を前年の8位から3位に上げている。
「3点取ればもういいじゃないかと言う人もいるけど、そういう問題じゃねえのさ。だいたい、俺がもう止めろと言っても止まるもんじゃないからね」
ボルシアMGには試合を“コントロールする”という概念がないのか、実際それで痛い目に遭った試合もいくつかあり、優勝できなかったのはそのせいだと論評されてもいた。
「言いたいことはわかりますよ」
ギュンター・ネッツァーは地元の記者に聞かれて、そう答えた。司令塔である自分が試合をコントロールする必要があるという意見も否定はしていない。
「でも、何をコントロールしなければならないんですか? 調子に乗って攻撃を続けたおかげで負けた試合も確かにある。けれども、うまくいっているのに制限を加える必要があるとは僕には思えないんですよ。第一、僕が何とかしようとしても無理なんです(笑)。いったんスイッチが入ってしまったら、僕にも親父(バイスバイラー)にも、誰にも止められない」
子馬は荒馬になっていた。もう誰にも乗りこなせない。そう育てたのはバイスバイラーでありネッツァーだったのだが、どうにかしなければならないのも事実だった。
「DFを獲ろう」
バイスバイラーは守備の強化を決めた。それしか解決策はなかった。
「枯れ野に火をつけるんだ」
バイスバイラーはいつもそう言っていた。誰でも、いつでも、どこからでも、攻撃を躊躇するなと。そこに小さな火がつく。一つひとつは小さな火でも、あちらこちらで火の手があがれば、やがて大きな炎となる。その時はもう相手には手遅れだと。
逆襲を食らえば手薄になることもわかっていた。だからといって、「攻めるな」とは口が裂けても言えない。言わないことに決めていた。それを言ったら、もうボルシアMGではなくなる。だから、たとえ手薄であっても、攻め遅れて残ったDFの質を上げるしかない。幸い、ハインケスたちの移籍金でDFなら十分買いそろえられる。バイスバイラーは初めて経験豊富なDFの獲得に動き、ルジ・ミュラー、クラウス・ディーター・ジーロフ、ウルリク・ルフェブレを獲得した。
守備強化策は奏功し、1969-70シーズンでボルシアMGはブンデスリーガ初優勝を成し遂げる。自動的に、ドイツの小さなクラブはチャンピオンズカップに参戦することになった。
メンヘングラッドバッハはオランダに近いため、よくオランダのチームと練習試合を組んでいたのだが、その1つがアヤックス・アムステルダムだった。ボルシアMGが初参戦の1970-71シーズンからチャンピオンカップ3連覇を成し遂げる“トータルフットボール”のチームである。
「ほう。なんだろうね、あれは」
かつてバイスバイラーを唸らせたヨハン・クライフは、すでにヨーロッパきってのFWに成長していた。
- VOL.1「アンチ・カテナチオ」
- VOL.2「IL MAGO」(魔術師)
- VOL.3「フットボールの勝利」
- VOL.4「Are you happy ?」
- VOL.5「配達人の憂鬱」
- VOL.6「カテナチオ炎上」
Photos: VI Images via Getty Images, Hulton Archive/Getty Images, Central Press/Getty Images

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