20年間続いた6代目山口組司忍組長時代が、いよいよ最終局面に突入しようとしている。


 司忍が6代目山口組組長に、高山清司が若頭(2025年6月まで)に就任したのは、20年前の2005年7月。

当時、私は連載していた『月刊実話ドキュメント』(現在は休刊)に〈蠢く闇社会の中心地『名古屋発』〉と題する記事を寄稿した。そこで「弘道会は6、7、8の三代にわたって君臨するだろう」と、当時の暴力団業界では問題視されかねない観測記事を書いたが、それが今現実味を帯びてきた。


 このとき、弘道会は結成わずか二十数年だった。弘道会は中京の雄として破竹の勢いで組織を拡大し、司忍組長と高山清司若頭のコンビが、山口組の6代目政権を手中に収めたのであった。


 しかし、その後の6代目山口組は決して順風満帆ではなく、むしろ受難と試練にさらされた。6代目就任の翌年(2006年)2月には司組長が銃刀法違反で収監され、5年間余りの懲役に服した。さらに、司組長と入れ替わるように高山清司若頭が恐喝罪で2014年6月に収監され、こちらも5年間余りの服役を余儀なくされている。


 このように、6代目山口組は発足早々の2006年から2019年の13年間にわたって組織のナンバー1と2が入れ替わり、収監されるという不安定な運営環境にあった。


 さらに激震が走ったのが、2015年8月の分裂騒動である。高山若頭が服役中で不在という間隙を縫うように、6代目山口組と神戸山口組の分裂抗争が勃発したのだ。この抗争は約10年間に及んだ。今年5月18日、6代目山口組が一方的に抗争終結を宣言して以後、新たな抗争は起きていない。

抗争から終結までの実態についての解説は次の機会に譲りたい。



「高山イズム」を継ぐ

 そして、9月8日、山口組の趨勢に直結する4代目弘道会の人事が公表されたのである。


 総裁  竹内照明(6代目山口組若頭)
 会長  野内正博(野内組組長)
 若頭  南 正毅(3代目高山組組長)
 舎弟頭 松山 猛(10代目稲葉地一家総長)


 という顔ぶれである。


 12月13日に予定されている事始め式では、竹内照明6代目山口組若頭が7代目山口組組長に推挙されるのではないかとの情報もある。現段階では極秘である。だが、そうなれば、いよいよ7代目山口組時代が到来する。


 この人事について、暴力団事情に詳しい関係者は、「高山氏の構想通りの人事」と口を揃える。


 41年間、一貫して司忍組長を支え続けた高山清司前若頭について、警察関係者も異口同音に〈実質的トップだ〉と是認するなど、その実力は圧倒的である。


 私は前述の『月刊実話ドキュメント』の連載中、多くの幹部や親分に取材をしてきたし、弘道会若頭だったころの高山氏の緊迫の素顔にも接してきた。その高山イズムを継承したのが、竹内照明6代目山口組若頭(4代目弘道会総裁)であり、新会長となった野内正博である。


 特に野内会長は、〈義理人情と筋を通す〉ことで知られる。自らの不手際で断指するのがヤクザの世界では慣例だが、野内は他の組とのケンカを収めるために自らの指を詰めるという逸話を持つ。

ある意味では見事と言えるし、関係者の度肝を抜いたに違いない。


 日本最大の暴力団・山口組の行方を占う上で、弘道会の動きから目を離すことはできない。


(成田俊一/フリージャーナリスト)


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