【あの人は今こうしている】


 中島唱子さん(女優/59歳)


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 昭和の音楽やドラマが根強い人気だ。1983(昭和58)年にパート1が放送された「ふぞろいの林檎たち」(TBS系)もその一つ。

劇中で容姿にコンプレックスを持つ女子大生を演じて注目されたのが中島唱子さんだった。「渡る世間は鬼ばかり」でも意地悪な店員役で存在感を示したが、今どうしているのか。


 中島さんに会ったのは、東京・日本橋にある「日本映像翻訳アカデミー」。


「コロナ禍のとき、ここで1年半学んだんです。同世代の人たちが定年を迎える年頃に、私もなりました。10代から俳優の仕事をはじめ、60歳を前に、自分の人生を考えるようになり、何か社会に関わっていきたいと思ったのがきっかけです。まだプロではないですが、去年と今年の2回、ボランティアで難民映画祭の上映作品に字幕を付け“デビュー”したんですよ。今年は『バーバリアン狂騒曲』というフランスの長編ブラックコメディーの英語字幕の日本語訳に、試験に合格した11人で手分けして、1カ月かけて取り組みました」


 中島さん、まずはこう言った。11月6日からオンラインと劇場で開催される難民映画祭の広報サポーターも務めているそうだ。


■米国人ジャズピアニストと36歳のときに結婚


 それにしても、いきなり翻訳とは。中島さんは29歳のとき文化庁派遣芸術家在外研修員として約1年、米NYへ留学。その際に出会った7歳上の米国人ジャズピアニストと36歳で結婚。

日米を往復しながら暮らし、英語が得意なのだ。


「いえ、今も英語は苦労しています。もっと磨きたくて始めてみたら、英日翻訳は、英語より、日本語でどう表現するかということのほうが難しい。膨大な量の細かい裏取りもしなくてはいけないし、翻訳って本当に大変! でも、朝起きたときに向き合う課題があって、時間を忘れて夢中になれることがあるというのがうれしいですね」


 コロナ禍には日本で洋裁教室にも通い、犬の術後服ブランド「オキドキドギー」をたちあげた。


「マスクを手作りして周りにプレゼントしていたら、知り合いの動物病院の先生から犬が手術後に傷口を舐めないように着るボディスーツを作ってほしいと依頼されて始めました。縫製工場とかけあったりもしたんですよ。洋裁にも夢中になれたし、演じることとは違うことを見て知って、世界が広がりました。この5年間は人生で最も充実した毎日でした。新しいことに挑戦できた経験が、ますます演劇への意欲にもつながりました」



■うれしいけど困る?「ふぞろいの林檎たち」で共演した柳沢慎吾さんからの長電話

 多才な中島さん、多忙なようだが、女優としての予定は?


「来年1月から明治座で上演される『氷川きよし特別公演』で、舞台に立ちます。だから、来年も半分以上日本にいます。これからもチャンスをいただければ女優を続けますよ。ただ、撮影中だった時代劇がコロナで中止になったとき、それまで何とか俳優として残りたい、私には俳優しかない、と思ってがんばってきたけれど、『表現って演じることだけじゃない、違うことを通して自分を表現できるんだ』という妙な確信が生まれ、心が自由になれた気がします」


 米国ではNYマンハッタンに1910年建築のビクトリアン様式のアパートを所有し、夫と2人暮らしだ。


「私たちにとって、日米を往復する今の生活が、一番バランスがいい。体力が続く限り、この生活を続けたいですね」


 さて、中島さんは高校在学中の83年、「ふぞろいの林檎たち」でデビュー。ドラマのヒットとともに中島さんにも注目が集まり、「スチュワーデス物語」(TBS系)や「渡る世間は鬼ばかり」など人気作に出演してきた。


「『ふぞろい──』で相手役だった柳沢(慎吾)先生のファンだったので、撮影中は夢のようでした。今も交流がありますよ。日本にいると長電話がかかってきて、それは、とても楽しくてうれしいことなんですが、主人からの国際電話を受けられず怒られます。だけど、10代から知っている柳沢先生といまもご縁がつながっているのは奇跡だと思うんです。だから、長電話もこちらからは切れない。幸せな板挟みです(笑)」


(取材・文=中野裕子)


▽中島唱子(なかじま・しょうこ)1966年5月7日葛飾区柴又生まれ。八王子高校在学中から演劇学校に通い、83年「ふぞろいの林檎たち」のオーディションに合格しデビュー。一躍、注目された。00年から人気シリーズ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)のレギュラーに。


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