【あの人は今こうしている】


 五十嵐浩晃さん
 (歌手/68歳)


  ◇  ◇  ◇


 ♪熱くもえる~まるでカゲロウさ……というサビが懐かしい「ペガサスの朝」。1980年にリリースされ、明治チョコレートのCMに起用され大ヒットした。

五十嵐浩晃さんの爽やかな歌声とダジャレ好きの明るい性格、クルクルのカーリーヘアが記憶に残る。今どうしているのか。


 五十嵐さんに会ったのは、東急田園都市線三軒茶屋駅直結のオフィスビル「キャロットタワー」26階にあるカフェ。隣には、コミュニティー放送局・エフエム世田谷のラジオブースがある。


「杉真理さんのラジオ番組『アフタヌーンパラダイス』にゲスト出演するんで、今朝は5時台に札幌の家を出て飛行機に乗ってきました。杉さんとは一緒にツアーをやったりして、昔から付き合いがあるんです。このラジオのほか、チャリティー歌謡祭や長野でライブに出演してから札幌へ戻ります。こんなふうに月2回ほど、札幌から全国へ出かけて歌っています」


 五十嵐さん、まずはこう言った。27歳のとき、アルバムのレコーディング中に十二指腸潰瘍からの腹膜炎で倒れ入院。胃を3分の2切除する手術を受けた。以来、故郷・北海道は札幌を拠点にする。


「31歳のとき、それまでとは別のレコード会社と契約したので再上京する道もありましたが、『君のメロディーは北海道にいるからこそ生まれるんだよ』とある方から言われ、自分でも北海道の気候が合っていると思い、札幌で活動することにしました」


 北海道のテレビのバラエティーやラジオで活躍し、現在は3時間生放送のラジオ番組「FRIDAY MUSIC★ATTACK」(STVラジオ)でしゃべっている。


「リスナーからのダジャレの投稿がたくさん来るので、かける予定の歌をすっ飛ばしてダジャレを読んでいます(笑)」


 ダジャレ好きは変わらないようだ。



■夫人は丸谷佳織・元衆院議員

 11年前からは「専門学校札幌ビジュアルアーツ」の名誉学校長も務める。


「肩書きだけじゃなく、実際に月2回、学生に講義やパフォーマンスのアドバイスをしています。就任当初は厳しい先生でしたが、周囲になだめられるうち、すっかり丸くなりました」


 教えるだけでなく、自身の音楽活動に注力し、デビュー45周年記念アルバムを制作中だ。


「コロナ禍で出かけられない間にギターと歌を学び直し、去年春からは毎朝4時半に起床し一日4、5曲作っています。今朝も飛行機に乗る前に1曲作ってきましたよ。『いい曲ができたな』と思えるのは、40曲で1曲の割合だけど、曲を作っているときは幸せ。苦しんで絞り出していた若い頃がウソのようです。40歳代には曲が作れなくなり、ギターは弾きたくないし、で『もう、このまま隠居生活でいいか』と営業ばかりしていました。道内の祭りで、自分で作ったカラオケで歌って、1回20万、30万円もらって……」


 やる気が出たのは一人娘の誕生がきっかけ。37歳のとき、8歳年下の元フリーパーソナリティーで元衆議院議員の丸谷佳織さんと結婚し、50歳のときに第1子に恵まれた。



■「お父さんは何をしている人なの?」に応えられる父親になろうと

「娘が大きくなって、『お父さんは何をしている人なの?』と聞かれたとき、答えられないようではダメだ、がんばろう、と。

子どもが力になりました」


 高校2年生になった愛娘は道外の高校に進学し、五十嵐さんは現在、夫人と夫人の両親と愛犬1匹と、2世帯住宅で暮らす。


 さて、五十嵐さんは北星学園大学在学中、レコード会社主催のオーディションに合格し、80年デビュー。3枚目のシングル「ペガサスの朝」が50万枚超と大ヒットした。


「当時はライブを月28本、ラジオのレギュラーが3本、その間にテレビ出演や取材があり、とても忙しく、自分がどこにいるかもわからないほどでした。最初の印税は3000万~4000万円あったんじゃないかなあ。周囲のスタッフらと飲み食いして使ってしまいました。“金は天下の回り物”と思っているので構わないのですが、体調を崩していなければ、もっと東京で思いっきり活動できたのにと思うと残念。そんな悔しさも、今は曲作りの楽しさで吹っ飛びましたけどね」


 12月6&7日、愛知県一宮市のアコースティックスペース「ひこざえもん」でデビュー45周年記念ライブを行う。


 (取材・文=中野裕子)


▽五十嵐浩晃(いがらし・ひろあき) 1957年3月4日北海道美唄市生まれ。79年、第1回CBS・ソニーSDオーディションに合格し、翌年「愛は風まかせ」でデビュー。3枚目のシングル「ペガサスの朝」が大ヒット。91年、「街は恋人」(アポロン)もスマッシュヒット。


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