【増田俊也 口述クロニクル】#67


 作家・増田俊也氏による新連載スタート。各界レジェンドの生涯を聞きながら一代記を紡ぐ口述クロニクル。

第1弾は写真家の加納典明氏です。


  ◇  ◇  ◇


増田「ご家族といえば、映像作家をやっている息子さんとの対談も拝読しました」


加納「そうなんだ。そんなのもあったんだね」


増田「2007年に『週刊朝日』で対談されてます。もう20年近く前ですが、息子さんが、ご両親から多大な影響を受けたと話しています。典明さんご自身としては、親としてどんな存在だったと思いますか?」


加納「まともな親じゃないですよね。ろくな親じゃなかったと思う。でも『やっていいことと悪いこと、それだけは絶対に教える』っていうのは常に言ってました。『それをやったら許さんぞ』ってね。そいつの下の弟が写真家を目指していたんだけど、今もやってるのかな。あるとき、ちょっと許し難いことがあってね。仕事のミスじゃなくて……」


増田「ごまかした?」


加納「詳しくは言わないけど、それで『もう、おまえは勘当だ』って」


増田「一生許さないと」


加納「そうですね」


増田「何年くらい前の話ですか?」


加納「もう何十年も前のことだよ」


増田「そのときは典明さんの助手をされてたんですか?」


加納「そう。その時にその件があって、俺は『もうダメだ』って決めた」


増田「双子でしたよね?」


加納「その双子の片方を勘当した。

でも、もう1人の映像作家のほうの息子は今も関わってる。双子だけど、全然似てないんだよね」


増田「小学校の頃からお付き合いされていた最初の奥さんとのお子さんですよね?」


加納「そうですね。その上に娘もいます」



同じ写真家の道を歩んだが…

増田「でも、当時は忙しくてほとんど家にもいなかったでしょうし、いわゆる父親らしい存在ではなかったかもしれませんね。でも、会話のやりとりを見ていると、優しい口調で話してますね」


加納「上の映像作家の息子とはいい関係を保ってる。ただ、子供のころは悪いことをしたらその都度、正座させたりもしたね」


増田「下の息子さん、写真家になった息子さんですが、その方はやはり相当厳しく鍛えたんですか」


加納「俺の助手をやりたいって言われたときは、正直、ちょっと嫌だったんだよ。自分の肉親を助手にするのは気が進まなかった。でも、どうしても一緒にやりたいって言うから、その代わり『半端じゃねえぞ』って伝えた。だから、周りの助手たちよりも、はるかにシビアに接しました。さっきの勘当の話も含めて」


増田「なるほど」


加納「だけど、それに対して自分自身は何も感じなかった。ただ、ひとつの厳然たる現実として向き合って勘当した」


増田「厳しいですね」


加納「俺は厳しいとは思わない。あたりまえのことをしただけだと思う」


増田「でも、結局、次男の方は今も写真家を?」


加納「してるみたいだね」


増田「そういう意味で加納さんと同じ道を歩んでいるわけですよね。それはやはりうれしいものなんですか?」


加納「いや、何も感じないですね。

そこから写真が生まれるかどうか、それだけの話だから。いつか『これはすごい』と思えるような写真が出てくるかもしれないけど、今のところはそこまではないね」


増田「そこはやはりシビアですね」


加納「写真の世界はそんな甘いものじゃないから」


(第68回につづく=火・木曜掲載)


▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。


▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。

3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が発売中。現在、拓殖大学客員教授。


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