【あの人は今こうしている】


 奈良富士子さん(女優・歌手/71歳)


  ◇  ◇  ◇


 1971年、コメディードラマ「美人はいかが?」(TBS系)で主演デビューし、歌手やタレントとしても活躍。愛くるしい大きな瞳で、一躍人気を獲得した奈良富士子さん。

その後は多くの時代劇や舞台で女優を続けてきたが、最近はテレビで見ない。今どうしているのか。


「コロナで仕事がストップしたときは、自宅でゆっくりしてネットフリックスを見て……こんな生活も幸せでいいなと思っていました。でも、友人に『またやらないともったいないよ』と言われ、去年、70歳で菊池寛原作の『藤十郎の恋』原作の一人芝居に挑戦。セリフをかんだりしたら女優をやめる覚悟でいたら、完璧にできたんです。それでやる気に火がつき、『もうちょっとやろう』と思い直しました」


 小田急線成城学園前駅のイタリア料理店で会った奈良さん、晴れやかな笑顔を見せた。この春には新しく事務所と契約。やる気マンマンだ。


「周りを見ると、仕事や新しい趣味に打ち込んでいる人のほうが生き生きしている。私も幸い元気で動ける。人生の残り時間は、あと何年あるかわからない。動けるうちに、楽しみたい。

それで、ソウルシンガーの夫のライブの合間に『気になる2人』という離婚した夫婦のショートドラマをはさんで、芝居をしたりもしています」


 12月14日、ミュージックレストラン「ラドンナ原宿」で「SHARK&FUJIKO CHRISTMAS SPECIAL GIG」を行う。


 それにしても奈良さん、美しく華やかで、まさに“美魔女”。同い年の円道シャーク・一成さんと、58歳で“再婚”している。


「50歳を過ぎた頃、友人が連れて行ってくれたライブで彼が歌っていて、知り合いました。籍は入れてなくて事実婚。知り合って20年経っても、仲良しですよ。朝起きて天気がいいと、『温泉に行こう!』と、2人でフラッとバイクに乗って出かけたり、満月の夜には月見に出かけたり、そんな生活を楽しんでいます」



■大変だった実業家との最初の結婚生活

 仕事も私生活も楽しめるのは、健康だからこそ。美の秘訣も健康にある、という。


「子どもの頃は身体が弱く、20歳のとき仕事の忙しさから胸膜炎を患い3年間休業。そのときから、身体に合った食事で身体を作るよう心がけてきました。ご飯は雑穀米や玄米を土鍋で炊き、味噌汁は必ず。ぬか漬けやひしおも手作り。

そういう食生活を続けたことが良かったのかもしれません」


 30歳のときに結婚した実業家とは40歳で離婚。現在36歳の一人娘は結婚し、7歳と2歳の育児に忙しいママさんだ。


「最初の結婚相手の家は資産家で、義理のご両親は私や私の実家の両親にもとても良くしてくれました。ところが、突然、破産宣告を受け、大病で倒れた義母からは『うちの息子のことは諦めて仕事に復帰して子供を育ててください』と言われました。けれども私は、義母のそばで看病し、義母が亡くなって四十九日を過ぎてから娘を連れて家を出ました。詳しい事情はわかりませんが、大好きだった義理の両親が一生懸命築いた財産を人手に渡すことになり、どんなにつらいだろうと思うと胸が張り裂けそうで、私もしばらくうつ状態やパニック障害に。苦しみながら芸能界に復帰し働き、実家の母に助けてもらって、必死で娘を育ててきました。そんななかでいまの夫と出会い、心をときほぐしてくれたのが夫でした」


 大変な過去があったんだ。



■エラい人からの“お誘い”を断ると仕事もなくなる芸能界…

 さて、大阪生まれの奈良さんが17歳のとき、オーディションで射止めたのが「美人はいかが?」の主役。寺尾聰や夏夕介との“兄妹”が繰り広げるラブコメディーは茶の間を明るくしてくれた。アイドル歌手や、欽ちゃん司会の「オールスター家族対抗歌合戦」(フジテレビ系)の初代アシスタントを務め、「江戸の鷹 御用部屋犯科帖」(テレビ朝日系)など多くの時代劇、そして「松本清張の黒革の手帖」(TBS系)、昼ドラマ「愛の」(フジテレビ系)などでも活躍したものだ。


「プロデューサーや演出家、脚本家からのお誘いがたくさんありましたね(笑)。

私がお断りすると作品の話もキレイサッパリなくなりました。そういうことが何度も。受け入れていれば、もっといい位置で仕事ができていたのかなと思いますが、後悔はしていません!」


 都内で夫と2人暮らし。


 (取材・文=中野裕子)


▽奈良富士子(なら・ふじこ) 1954年7月19日大阪生まれ。幼少時から子役として活動し、71年、ドラマ「美人はいかが?」(TBS系)で主演。翌年、歌手デビュー。その後は主にドラマ、舞台で活躍。


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