【孤独のキネマ】


 エディントンへようこそ


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 原題は「EDDINGTON」。日本の関係者は「エディントンへようこそ」という邦題を命名した。

本作は新型コロナで右往左往する田舎町が舞台。ブラックジョークなストーリーゆえ「ようこそ」を追加したほうが分かりやすい。米国の病理体質を抉り出した問題作だ。監督は「ミッドサマー」(2019年)などのアリ・アスターである。


 2020年、ニューメキシコの小さな町エディントンはコロナ禍でロックダウン。息苦しい生活の中で住民の不満は爆発寸前だ。保安官のジョー(ホアキン・フェニックス)は、IT企業誘致で町を救おうとする市長テッド(ペドロ・パスカル)と「マスクをする、しない」の小競り合いで対立する。


 反対派の意見に耳を貸さないテッドをジョーは嫌っていた。また自分の愛妻ルイーズ(エマ・ストーン)がテッドの元恋人なのも気に食わない。ルイーズは心の病で引きこもり、カルト集団を率いるヴァーノン(オースティン・バトラー)の動画配信を見ては陰謀論にハマっている。


 仕事でも自宅でも居場所のないジョーはビジョンもないまま「俺が市長になる!」と市長選に立候補。人通りのない道で車を走らせながら上辺だけの演説を繰り返し、テッドとさらに対立する。

両者の争いの火は周囲に広がり、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上。猜疑心が浸透した町で分断と小競り合いが起きるのだった……。


 片やIT企業のデータセンター誘致に熱心な現役の市長。片や市長に敵意を抱いている現役の保安官。この2人が市長選挙で対立するのが物語の中心軸だ。アスター監督は「この映画を無理やりに要約するとしたら、小さな町にデータセンターが建設される物語だ」と述べているが、それほど単純ではない。現代社会への皮肉をこめた風刺と考えたほうがピンとくる。


 マスク嫌いのジョーはドナルド・トランプを想起させる。実際ジョーは劇中で「ディープステート」と口走っている。射撃が好きで、自宅で仮眠するときもピストルを腰から外さず、物音に反応して銃を構える。このあたりはトランプの登場によって活発化したミリシアをイメージさせる。


 一方、市長のテッドはIT企業に希望を見出だす。

IT企業は鉄鋼などのラストベルトを支持層とするトランプの対極に位置する。つまり本作は「トランプ派vs反トランプ派」が暗喩されていると考えていい。


 ここに黒人の市民が警官に殺害されたジョージ・フロイド事件(20年5月)が加わり、若者たちがデモを実施。人々はウイルスの恐怖の中で「マスクをしろ」と同調圧力を強める。こうした動きが人心の分断となってついにはアンティファまでもが登場。意表を突いた銃撃戦になだれ込むのだ。



現代社会の縮図

 注目すべき点はいくつもあるが、ここではヴァーノンの存在を挙げておきたい。この男は陰謀論を世間に広め、ルイーズらを洗脳する。新型コロナという疫病から怪しげな男が飛び出して信者を獲得したわけだ。


 日本でも同様の事件が起きた。神真都Q(やまときゅー)という団体が「反ワクチン」を掲げて活動。22年4月、ワクチン接種会場にメンバー4人が侵入して逮捕された。

この神真都Qのようなワクチン有害説を主張する連中がカルトな政治団体を作り、人々の不安をてこに大きく成長したことはご存知のとおりだ。


 人間は国家から何かを強制されたとき「背後に自分たちが知らされていない陰謀が渦巻いている」と考えたがるもの。コロナが終息した現代の日本でも「ワクチンによって多くの人が殺された」との言説を広める動きは続き、彼らを崇める信者は減らない。このヴァーノンの存在はコロナ騒動のいびつな面を端的に表現した。


 主演のホアキン・フェニックスはこう語っている。


「観客がこの映画を観て、今の世界を理解してくれることを願っている」


 エディントンという架空の町は現代社会の縮図なのである。


(配給:ハピネットファントム・スタジオ/TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開中)


(文=森田健司)


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