【孤独のキネマ】


 映画「サムシング・エクストラ! やさしい泥棒のゆかいな逃避行」


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 この映画を見て菊池寛の小説「恩讐の彼方に」を思い出した。主殺しと辻斬りを犯した主人公が田舎の村に逃げ込み、善行に目覚める物語。

洋の東西は違うが、その精神は本作に通じるものがある。本作はユーモアあふれるハートフルコメディだ。


 宝石店に泥棒に入ったパウロ(アルテュス)とその父親(クロヴィス・コルニアック)。警察の追跡から逃げるふたりは、ふとした偶然で障害者とその介助者に間違われ、知的障害のある若者たちのサマーキャンプに身を隠すことになる。色とりどりの個性を持つ彼らとの笑顔にあふれた賑やかな日々は、いつしか2人の心を解きほぐしていく。


 だが、そんな愉快な逃避行も長くは続かず、司直の追跡を受けるのだ。彼らが見つけた本当の宝物とは何なのか……。
パウロを演じたアルテュス監督はこう語っている。


「私はずっと、知的障害のある人たちがどんなことができるのかを描きたいと思っていました。彼らは、他ではなかなか出会えないような素晴らしい想像力や、魔法のような魅力、時に突拍子もない一面を持っています。私は彼ら“と” 映画を作りたかったのであって、彼らに“ついて”の映画を作りたかったわけではありません」


 鑑賞後、資料を読んでびっくりさせられた。役者たちはいずれも芸達者。

そのため容姿が障害者に似た役者を選んだのだろうと思ったら、実は本当に障害を抱えた人たちを出演させたという。彼らの演技力に舌を巻き、自分の浅はかな思い込みに苦笑してしまった。


 宝石店を襲った2人組が親子というのがこの脚本のミソだ。通常の泥棒は悪党の友人同士がつるんで行うものだが、本作は親子がグルになって犯行に及ぶ設定。考えてみると、我々の社会には「親がワルなら、子もワルだ」という悪行の遺伝的連鎖が存在する。筆者も昔の村社会でそうした悲劇的現実を目撃したことがある。


 DNAによる犯罪の継承はどこか暗いイメージがあるものだ。本作はその血縁的なタブーにスポットを当て、親子2代の悪党がピュアな心の障害者たちとの交流で変化して行くさまを描いている。救いようのない悪徳DNAコンビの良心の覚醒がテーマだ。
彼らはパウロが障害者でないことを見抜くが、仲間として受け入れ、そのことを口外しない。つまり障害者が健常者を快く受け入れるわけだ。そうしたこともあってパウロは心に刺激を受ける。

彼がこのグループで暮らす日々に楽しみを見出すようになる過程が見どころだ。


 アルテュス監督はパウロの心の変化を自然に映し出してゆく。フランスで大ヒットした理由はこの無理のない描写にあるのだろう。筆者は泣かせる映画は好きではないが、ラストの落ちについホロリとさせられた。


 本作を見て思うのは悪人であっても、その心の内には善行への憧れが潜んでいるということ。そういえばこんな言葉がある。


「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』)


 意味合いは少し違うが、本稿を書きながら声に出して唱えてしまった。


(TOHOシネマズシャンテほか全国公開中/配給:東和ピクチャーズ)


(文=森田健司)


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