前回は、昭和の子ども文化における「ミイラブーム」の直接的要因は、ユニバーサルで制作された「ミイラ男」を主人公にした怪奇映画のシリーズだった、ということを解説した。が、これは要因の半分に過ぎず、「ミイラブーム」にはもうひとつ、まったく別の流れもあったのである。

日本でのブームの引き金になったのが1959年製作の映画『ミイラの幽霊』。これにインスパイアされたテレビ作品などが後に登場したとはいえ、50年代にはじまった「ミイラ男」のブームが、70年代に入るまで子ども文化に居座り続けたというのは、やはりちょっと考えにくい。つまり、ミイラ映画の流行から70年代までの間に、もう一度ブームを再燃させるようなビッグバンが起こっているはずなのである。
このビッグバンこそ、1965年の夏、東京・上野の東京国立博物館で開催された「ツタンカーメン展」だ(後に京都、福岡でも開催)。単なる博物館の企画展をビッグバンなどと称するのは大げさ……と思うかもしれないが、それは当時の人々のイベント観というか、強烈な「お祭り騒ぎ体質」を知らないからだろう。この鳴り物入りで開催された大イベンドは文字どおりの「事件」であり、まさに国民的催事だった。オリンピック並みとはいわないまでも、昨今のワールドカップレベルの大騒ぎになっていたのだ(と考えると、昔も今も日本人の「お祭り騒ぎ体質」はたいして変わっていないのかも知れないが)。
いや、僕自身が生まれたのは「ツタンカーメン展」の2年後なので、その当時の熱量はもちろん実感していない。しかし、このときの「殺人的混雑」とメディアをあげての大騒ぎは、大人たちから「伝説」としてさんざん聞かされている。
東京オリンピックと大阪万博という「国策的イベント」を除外すれば、ツタンカーメン、パンダ、モナリザの初公開が日本の高度成長期におけるエポックメイキングな文化イベントだった。若い読者にはちょっと想像がつきにくいかもしれないが、この3つに関して当時の人々は、「これを見ておかないと『文化的な最低限度の生活』を送っているとは言えないのだ!」みたいな、妙にヒステリックな焦りのようなものを抱いていたのだと思う。
ついでにいえば、70年の大阪万博も「ミイラブーム」や「古代エジプトブーム」に大きな影響を与えていると思う。大阪万博は「来るべき未来」をテーマにしつつも、「太古の文化」と「非西欧社会」への興味をも掻き立てるイベントだった。これによって一種の「エスニックブーム」(多様な民族の文化への関心の高まり)が日本でも起こるのだが、これが当時の「エジプト憧れ」にも呼応していると思うのだ。しかし、この大阪万博という超オカルティックな国家的祭典に関しては数行では語れないので、回をあらためてまたいつか……。
「エジプトっぽさ」がオシャレだった?
大衆レベルで過剰に盛りあがりまくった「ツタンカーメン展」のブームは、もちろん当時のカルチャーに多大な影響を与えた。
もっとも顕著だったのは、日用品市場における「エジプトっぽいもの」の大ブームである。こう語られたところで、同世代の読者もあまりピンとこないと思う。
特に人気だったのが婦人服、タペストリーや室内装飾用の布類、文房具、オブジェや置物類などのインテリア雑貨だ。これらの市場において、ピラミッドやエジプトの壁画を模したデザイン、つまりヒエログリフ(古代文字)や頭にかごを乗せた女性が並ぶ壁画イラストなど、さらには「ロゼッタストーン」の刻印の一部などを柄として配したものが、次から次へと登場した。こう書けば、70年代っ子なら思い当たるフシがあるだろう。幼少期の記憶に、自分の母親や近所のお姉さん、おばさんが、なぜか「エジプトっぽい」感じのワンピースを着ていたり、文房具屋に古代エジプトの壁画風のパターンがプリントされたノートなどが並んでいたりしたのを覚えているはずだ。意味もわからないままに、ヒエログリフ柄のTシャツなどを着せられていた人もいると思う(僕もそうだった!)。
こうした日常の時代感覚や一時的流行というものは、記憶からも記録からも抜け落ちてしまい、なかなか思い出す機会がないものなのだ。が、北名古屋市歴史民族資料館では、2015年に「大エジプト柄展」と称して、昭和のノスタルジックな「エジプト柄ブーム」にスポットを当てた展示を行った。超ニッチな企画だが、今ではほとんど語られることのない「エジプトがオシャレだった時代」を思い出させてくれる貴重な展示である。


ツタンカーメンの呪い
社会現象となるほどの大騒ぎだったツタンカーメンのブームは、もちろん子ども文化をも直撃する。
また、78年に東京・池袋のサンシャイン60内にオープンし、子どもたちのトレンドスポットとなった古代オリエント博物館も、こうした流れのなかに位置づけられだろう。この子ども文化における「エジプト憧れ」の傾向は、78年にヒットしたドラマ『西遊記』、80年に社会現象化したNHKの『シルクロード特集』などの「オリエント再発見」的なブームと堺を接しながら、漠然とした「太古・異国へのロマン」みたいなものとして、80年代なかばくらいまで持続していたと思う。
しかし、「ツタンカーメンブーム」が昭和こどもオカルト文化に残した最大のネタは、なんといっても「呪い」に類するアレコレである。これはもう当時の子どもたちの基礎教養であり、ツタンカーメンとかピラミッドという言葉を聞いた途端、我々世代の頭に浮かぶのは「呪い」の一語なのだ。
ピラミッドからミイラや財宝を発掘した探検隊が一人ずつ謎の死を遂げた……というおなじみのエピソードについて、『ツタンカーメンの呪い』『ファラオの呪い』『王家の谷の呪い』などなどと称し、何十冊もの児童書が刊行され、児童雑誌なども何度となく特集を組んだ。しまいには「もういいよ!」というくらいに定番のネタになってしまったが、小学校低学年で初めて知ったときは心底怖かったし、また、「呪い」説を否定する新説として一時期流行した「ウィルス説」を知ったときも驚愕した。探検隊の「怪死」は超自然の力によるものなどではなく、古代エジプト時代の特殊な細菌の感染によるものだとする説で、妙な説得力とリアリティに心から納得してしまったのである。
この種の逸話は、ほとんどが尾ヒレをくっつけまくった与太話で、そもそも探検隊員は誰も「怪死」などしていない……という説が後に有力になったが、それでも僕などはツタンカーメンの黄金のマスクを目にするたびに、いまだに「怖いっ!」という当時の感覚がまっさきによみがえってくるのである。

さて次回は、「ツタンカーメンブーム」によって再燃した「ミイラブーム」が、日本ならではの形で独自に進化(?)していったプロセスを見ていきたいと思う。70年代オカルトブームにおける心霊ネタと「ミイラブーム」の融合のような形で、テレビや児童書が盛りあげまくっていた和製ミイラ、「即身仏」のお話である。
初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」
◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖
◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎
◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」
◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎
◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末
◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」
◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢
◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」
◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜
◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界
◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」
◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」
◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」
◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって
◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2
◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1
関連リンク
初見健一「東京レトロスペクティブ」
文=初見健一
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