「エルサレムのゴルゴタの丘で磔刑に処せられたイエス・キリストは、じつは生き延びていて、密かに日本に渡り、余生を送った」

こんな「日本キリスト伝説」は、「ムー」の読者なら、それこそ耳にたこができるほど聞かされてきた話だろう。
そして、おそらく多くの読者が、青森県新郷村にある「キリストの墓」を思い浮かべることだろう。
一般に流布している「日本キリスト伝説」によれば、ゴルゴタの丘で処刑されたのは、じつはイエス・キリストの弟イスキリだった。彼は偉大な兄の身代わりとなって自らの命を犠牲に捧げたのだった。一方、磔刑から脱したイエス本人は、艱かん難なん辛しん苦くして世界各地を遍歴したのち、日本の東北地方にたどりついた。そして、安住の地を求めるうちに青森県新郷村(旧戸来村)に住みつき、その地で生涯を閉じた。「戸来」という地名は、イエスの出自である「ヘブライ」(=イスラエル民族)が訛なまったものにほかならない――。
このような日本キリスト伝説に対しては、もちろん多くの人が「まさかそんな……」という反応を示す。「聖書には、日本のことなどひと言も書かれていない」「信頼できる歴史書に、『イエスが日本へと渡った』などと記したものは一冊も存在しない」……。
たしかに、その通りだ。常識のレベルで考えれば、今から2000年も前の時代に、パレスチナにいたイエス・キリストが1万キロも離れた極東の島国にやってきたということなど、史実としておよそ考えにくい、ということになろう。
だが、「イエスが日本に来ていたことをこの目で見た」という証言があったとしたら、どうなるだろうか。
イエスは島原半島に上陸し、四国で昇天した
「今からおよそ2000年前、イサヤは、船に乗って台湾、南西諸島を経て九州にたどりつき、まず島原半島に上陸しました」
そう落ち着いていい切るのは、彗星捜索家(コメット・ハンター)で、3度も臨死体験をしたことで知られる、木内鶴彦氏。「イサヤ」とは、木内氏によればイエス・キリストのことで、当時、イエスはイサヤと呼ばれていたのだという。
こう語る。
「青森の新郷村はイサヤとは関係ありません。イサヤは九州から四国に渡り、最後は徳島の剣山の頂上から天に昇りました」
つまり、青森のキリスト伝説は後世の作り話であって、本物のイエス・キリストすなわちイサヤは、たしかに日本にはやってきたが、東北は訪れず、四国で最期を迎えたというのである。
さらに木内氏はこう語る。
「青森の新郷村はイサヤとは関係ありません。イサヤは九州から四国に渡り、最後は徳島の剣山の頂上から天に昇りました」
つまり、青森のキリスト伝説は後世の作り話であって、本物のイエス・キリストすなわちイサヤは、たしかに日本にはやってきたが、東北は訪れず、四国で最期を迎えたというのである。
それにしても、木内氏は、この「事実」をどうやって知ったのか。もちろん何かの文献によったわけではない。

じつをいえば、木内氏は、イエスが来日した時の情景を実際に目撃し、そして見てきたとおりのことを語っているのだ。つまり、「この目で見た」というわけだ。
すると、こう反論があがるだろう。
「バカなことをいうな。現代の人間が、どうやって2000年前の出来事を『目撃』できるんだ? まさか、タイムトラベルをしたとでもいうのか?」
そう、そのまさかの「タイムトラベル」なのだ。ある超常体験をきっかけに異次元へのアクセスが可能となった木内氏は、過去への壮大な旅に出かけ、はからずも「日本キリスト伝説」の真実の証人となったのである――。
木内氏がタイムトラベルのなかで垣間見た過去は、もちろんキリストにとどまらない。大洪水、月、ノアの箱舟、縄文、スサノオ、大和朝廷の成立……。
これまで歴史学や考古学が黙殺してきた「本当の歴史」が今、目撃者となって明らかとなる。

文=古銀 剛
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