取材先でついにその古文書を目にしたとき、筆者は思わず息をのんだ。

なぜなら、それが、これまで公表されたことのない、明らかに新発見の「神代文字文献」だったからだ。「ムー」のライターを務めていても、これほどのレベルの「スクープ」に巡り合える僥倖は、そうはない。
大陸から漢字が流入する以前に日本でつくられ、用いられていたとされる文字のことを俗に「神代文字」という。そうした神代文字で書かれた現存する文献としては、よく知られているものに『秀真伝』や『上記』がある。『竹内文書』や『宮下文書(富士古文献)』も、そのオリジナルは神代文字で書かれていたといわれている。
千葉県成田市船形に鎮座する麻賀多神社。応神天皇の時代に創祀されたと伝えられるこの古社には、謎の神代文字文献が伝来していた。
神代文字がはたして本当に太古の日本で用いられていたものなのか、それともそれは漢字流入後に編み出された(偽作された)文字なのかという議論はさておき、現存する神代文字文献は10書近くは確認されており、神社の護符の類いに記されたものも含めれば、神代文字は50種以上はあるという。
とはいえ、神代文字文献は昭和初期までにはあらかた発見・公開され、昭和から平成にかけての一時期は古史古伝ブームの影響で注目を浴びることもあったが、近年は、新史料の発見もほとんどないことから、研究も停滞気味になっていた。
ところが、平成も終わりになって、これまでまったく知られていなかった神代文字文献の存在が、ムー編集部の独自取材によって、今回明らかになったのだ。
その古文書の出所は、千葉県の麻賀多神社。
千葉県の成田市・佐倉市を中心とした地域には、「麻賀多神社」という神社が18社点在している。いずれも印旛沼の東から南にかけての場所で、かつては下総国印旛郡、さらに遡ると印波(印旛)国と呼ばれていた地域だ。
麻賀多という珍しい名称をもった神社が鎮座しているのは全国的にもこの一帯だけだが、これらのうち、本社的な地位にあるのが、成田市台方に鎮座する麻賀多神社と、そこから北へおよそ1キロほどの、成田市船形に鎮座する麻賀多神社のふたつだ。
台方の麻賀多神社は、イザナミの尿から生まれた、穀物の生育を司るワクムスヒ(稚産霊神)を祀り、船形の麻賀多神社は、天照大神の妹神とされるワカヒルメ(稚日孁命)を祀っている。一般に前者は本社(大宮殿)、後者は奥宮(澳津宮)とされ、社伝では、まず応神天皇の時代、天皇に仕えて初代印波(印旛)国造となった伊都許利命によってワクムスヒ・ワカヒルメを祀る船形の麻賀多神社が創祀され、のちの推古天皇の時代にワクムスヒだけを台方に遷うつしてもうひとつの麻賀多神社が創祀されたということになっている。

いずれにしても、船形と台方の麻賀多神社は一体の関係にあり、古来、伊都許利命の末まつ裔えいといわれる太田家が両社の宮司を代々務めてきた。ちなみに、船形の麻賀多神社の境内には、伊都許利命の墳墓と伝承される方墳がある。
そして、今回新たに発見された神代文字文献は、その太田家に伝来していたものだったのである。

(ムー2019年4月号より抜粋)
文=古銀剛
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