【その他の写真:朝鮮王朝時代に建てられた王宮祠堂「観月堂」イメージ】
観月道は正面3間、側面2間、切妻屋根の断層構造。朝鮮後期王朝の祠堂様式の木造建築物。明確な謂れは判明していないが、朝鮮を植民地にしていた日帝強占期の1924年(大正13年)に、韓国殖産銀行が、山一証券の初代社長に寄贈したと言われている。もらった社長も東京に木材として届いて困ったのだろう。1930年代に、鎌倉の高徳院に寄贈した。老朽化もある。だが長く、観音菩薩像を安置し祈祷所としていた。
憶測だが、このまま朽ちた木材として処分してもよかったのだろうが、高徳院の住職が韓国での保存が適切だと判断した。韓国がモノいう国だと言うのは、日本人なら誰でも知っている。
そのうえで、韓国の文化関係各所と連絡を取りながら、数年の時間をかけて調査研究し、日本での修復を試みた個所もある。そのうえで解体をし、韓国への搬入が今回完了し、公に伝えられた次第。
だが、日本にあるうちは、「我が国のものだ、返せ」と叫ぶものの、実はあまり古い分解遺産に興味のない韓国人。
韓国に渡されるまでの調査研究は日韓共同プロジェクトだったが、これからは、韓国単体の事業になるからだ。強奪したものでもないので、日本に非はない。
いつの日か、韓国の専門人材による修理作業が進められる「だろう」で状況は止まっている。
【編集:fa】