【その他の写真:バリの祭り オゴオゴ (C)Azusa Shiraishi】
奇想天外な国内外の旅の出来事を通して「人生の避難訓練」としての旅をすすめるメッセージが詰まったユーモアあふれるエッセイだ。
――本にはいろいろな国のエピソードが登場しますが、世界各地をまわられて印象が変わった国はありますか?
たくさんありますが、ひとつはイスラムの国でしょうか。もちろんイスラム教の国といってもエリアによってさまざまですが、そのなかでも戒律が厳しく、「なんとなく怖い人たちのいる国」だと思い込んでいたイランでは驚きの連続でした。四半世紀前、トルクメニスタンから陸路で国境を越えてイランに入国した時、私は有名な遺跡だけ見て、さっさと通り過ぎようと思っていました。当時は観光地に興味があっても現地の人にさほど興味がなかったのです。
ところが国境の街から長距離バスに乗ると、休憩中、カフェでお茶を飲むと知らない間に誰かが払っていてくれたり、寒いだろうと毛布を分けてくれたりと同じバスの乗客たちから怒涛の親切を受けました。さらにそのバスが目的地に到着したのが夜中だったのですが、隣の席だったおばあさんが身振り手振りで「まだ暗いからうちに来なさい」と手を引っ張るのです。
彼女の家で待っていた英語のできる娘さんが「うちのお母さんは、あなたの顔が平たくて目が細いし、知らない言葉を話すし、実は怖かったけれど、こんな夜中に女の子をほっとけないから勇気を振り絞って声をかけた。イスラム教は『旅人には親切に』という戒律があるから」と教えてくれました。
――あまりイランでは日本人に会ったことはないのでしょうか。
イランには中国人も街中にいますけれど、おばあさんは平たい顔の民族をまじまじと真夜中に長時間、真横で見る機会がなかったのでしょう。たまに彼女の大きな目が私の目と合うとドギマギしている様子でした。
――世界各地でさまざまな親切を受けたことも書かれていますよね。
ええ。ただ当時の私は他人の気持ちが分からず、「親切にしてもらってラッキー」くらいにしか考えていませんでした。しかし、自分が中年になると、あの時、親切にしてもらった世界中のおじさん、おばさんたちの顔をよく思い出すようになりました。
それで自分も彼らと同じ歳になり、今は困っていそうな旅人に会えば声をかけたり、ささやかながら被災地などへのボランティアも行くようになりました。観光地のことはだいぶ忘れたけれど、赤の他人であった自分を助けてくれた現地の人たちの記憶が頭の片隅に残っていたからかもしれません。逃げることが主な旅の目的でしたが、長い年月をかけて利己的だった自分を少しだけ変えてくれたのも旅だったのだと今は思います。
――お話し、ありがとうございました。
【編集:fs】