タイ王国西部、ミャンマー国境に程近いカンチャナブリ県サンクラブリー郡の山奥に、日本人が校長を務める「虹の学校」がある。小学校と同等の学習センターとしてタイ政府にも公認されたこの施設で、山岳民族の子ども達40人以上が寝食を共にし、未来への希望を育んでいる。


その他の写真:電子ピアノを寄贈したシンガーソングライターの小野亜里沙さんと子ども達(写真提供:入江猛)

 厳しい現実に立ち向かう子どもたち

 この学校に通う子ども達が抱える事情は複雑で、深刻である。彼らの多くは、身寄りがなかったり、家族に学費を出すお金がなかったりするほか、隣国ミャンマーの戦禍を逃れて来ていたり、タイで生まれたものの出生届が出せないなどの理由で無国籍の状態にある。

 無国籍という事実は、彼らの生活に「重い足枷」をもたらす。パスポートの取得が不可能で国外への移動が極めて困難なだけでなく、タイ国内の移動にも許可が必要だ。さらに、就労、社会保障、高等教育の面でタイ国民と同等の権利を得ることはできず、貧困からの脱却が非常に難しい状況に置かれている。虹の学校の最大のミッションは、こうした子どもたちに教育を施し、複雑な手続きを経て将来的に国籍を取得し、自立できるようサポートすることに尽きる。

 日本の住職と日本人校長が灯す希望

 虹の学校は2008年、高知県・高法寺の玉城秀大住職により創立された。住職は、友人の依頼で現地のフェアトレード活動を支援する中で学校建設を依頼され、創設を決意したという。住職自身の経験から「人には本来、大きな可能性がある」との強い思いが、貧困の中で苦しむ子どもたちに「自分の可能性に気づき、人生をよりよくしていく力」を身につけてほしいという願いとなり、創設の原動力となった。

 そして、現在校長を務める片岡朋子先生の熱意が学校の推進力となっている。赴任以前の片岡先生はバンコクで日本語教師を数年間務めていたが、「バンコクで裕福な都会の子どもたちに教えることは誰でもできるけど、虹の学校は私にしかできないのでは?」と感じてこの学校運営に身を投じた経緯がある。

 そして、子ども達と暮らしていく中で、山岳民族の子どもたちの持つ「生きる力」に強く惹かれるという、片岡校長の獅子奮迅ぶりは、活発な子ども達に負けない。
校庭のみならず、学校の長期休暇を使った講演活動にも国内外を走り回ることができるのは、運動が大好きというバイタリティーを持つ故のことだろう。

 「生きる力」を育む教育と持続への挑戦

 学校では、タイ教育省のカリキュラムに沿った基礎教育に加え、日本語学習や独自のオルタナティブ教育を導入している。特に、山岳民族の伝統文化(稲作、竹細工、機織りなど)の継承を重視し、共同生活の中で家事や畑仕事を通じて、困難を乗り越える「生きる力」を育んでいる。

 運営資金は、タイ国内外、特に日本からの寄付金と、フェアトレード製品の販売収益によって賄われている。財政状況は常に厳しいものの、活動はタイ政府からも評価されており、2014年には公認の「学習センター」として承認され、2023年1月にはタイ政府から社会貢献賞を受賞した。

 しかし、2018年には借りていた土地の返還、退去を余儀なくされる危機に直面した。幸い、新たな土地を借りられたことで、2023年に現在の校舎が完成し、活動を継続している。そして、国内外の支援により新天地を購入し、恒久的な新校舎の建築も現在進められている。このように、虹の学校は幾多の困難や試練を乗り越え、無国籍の子どもたちが希望を持って生きるための「虹の架け橋」であり続けたいと願い運営されている。この活動を持続させるためには、これからもより多くの理解と支援が欠かせない。

 支援の先に見える「本当の豊かさ」

 恵まれない子どもたちへの支援活動に対し、世の中には「売名行為だ」「偽善だ」と非難する声も存在する。しかし、たとえその動機がどうであれ、行動を起こすことは、子どもたちにとって現実に助けとなっている。
そして、この活動に限らず、支援を通して支援者自身にも必ず得るものがある。それは、現地で子ども達の目の輝きを見れば誰もが感じること、すなわち「本当の豊かさとは何か」という問いへの答えである。筆者もタイでの教育支援活動に関わった中で、いつの間にか子どもたちに「学ばされていた」体験を持つ。今の日本人が見失ってしまった大切な何かがここにもあると確信しているからこそ、この虹の学校の活動が、より多くの人々に届くことを願うものである。

 虹の学校では、支援への理解と協力、そして資金集めのために現地で子ども達との交流やフィールドスタディ他のイベントを定期的に開催している。詳しくは、学校のホームページやFacebookを参照していただきたい。「虹の学校」で検索すればすぐに見つかる。
【取材:そむちゃい吉田】
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